時敏尋常小学校 明治36年 |
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先日、ヤフーオークションで手に入った明治36年4月、時敏小学校の卒業写真を寄贈しに行った。大変喜ばれ、今後の郷土授業の参考にするとのことであった。現在、小学校では3年生から6年生まで、総合研究授業で郷土の勉強をしている。時敏小学校では学区の弘前公園、仲町での野外授業や博物館見学などを行なっているという。学校検診でいく相馬中学校では、地元の郷土史家の協力を得て相馬村の歴史を教えている。
こうした郷土の授業は、子供達の郷土への理解と愛情を育てるためには、大変意義ある。つい青森のような中央から離れたところに住む子供達は、東京を中心とした都会に憧れを持ち、故郷を田舎とばかにするようだが、これはとんでもない間違いであり、東京に価値があるように故郷も同様に価値がある。それを具体化するのが、こうした小中学校でも郷土授業であり、たとえ東京の人に弘前のような田舎では芸術がないと言われれば、近くに現代美術家のホープ、奈良美智が住んでいたし、田根剛が設計した弘前レンガ美術館もあると答えればおしまいである。少なくとも人物として東京に負けることはない。
ただ実際に郷土の授業というと、テキストがなく、各小中学校に合わせた授業が望まれるだけに準備も大変そうである。さらに従来のような“わたしたちの弘前”や“新・弘前人物志”などの副読本を活用した授業より、子供達にとって身近なトピックが求められる。そうした点では、昔の絵図や地図を使って実際に近所のことを調べるのは楽しい。例えば時敏小学校の例で言えば、近所の八幡神社の周囲は大きな木で囲まれ、天狗が住んでいたとか、稲荷神社あたりには最勝院とその塔頭が並び、夜になると怖くてばけものが出たという話も面白い。こうした絵図や写真、昔話などを使い、実際にその痕跡を調べたり、八幡神社の神主に話を聞くのもいいかも。
また今回持っていった明治の卒業写真、戦前の卒業写真、そして最近の卒業写真を比較することで、髪型や服装の違い、それを取り巻く環境なども見つけることができるかもしれない。明治時代の学校は学区の住民が金を出し合って建て、住民の自慢であったことや、旧制中学校に行く生徒はごく一部であったこと、学校に行くのにも授業料がいったこと、弘前城内で行われた合同運動会では、先生が相手校の選手を妨害し、先生同士で喧嘩になったこと、面白い。また子供達の稚児巻きから、髪型の時代変遷を教えるのもいい。弘前の学校はどうか知らないが、昔は小学校の教室の中に今のデンタルユニットのようなものがあり、検診後、虫歯があれば、そこで治された。また弘前市の朝陽小学校では昭和40年頃には、学校に風呂があり、生徒が入浴する時間があったという。おそらく風呂に入れなかった子供がいた時代の名残であろう。男女が一緒には入浴するのがたまらなく恥ずかしかったという。
拙書“明治2年弘前絵図”では、章ごとに各町内の偉人を挙げて、大まかに解説している。時敏小学校についていえば、学区が弘前公園や武家屋敷の多い仲町地区を含み、ここには多くの偉人がいて、場合によっては自分の住んでいるところに以前、素晴らし人物がいたとわかることもある。そうした人物について図書館やインターネットで調べることは、一種の初歩的研究としては大切な経験となる。さらにその結果を発表し、冊子にすれば、学校の研究となる。こうした点では、弘前市は郷土授業をするには非常に恵まれた町であり、それを有効に活用してもらい、子供達の郷土愛を育てて欲しいと思う。
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