2021年4月3日土曜日

1973年のある日


阪急塚口駅


 1973年頃というと、昭和48年、私は17歳、高校二年生の時の1日を見てみたい。

 

 朝起きるのは615分、急いで顔を洗い、歯を磨き、ご飯と味噌汁、そして前夜のおかずの残りを5分で食べ、640分には東難波4丁目の尼崎市バスの停留所、通称三角公園前の停留所から阪急塚口駅行きの645分のバスに乗る。たまにこのバスには宝塚音楽学校のグレーの制服、制帽をかぶった背の高い女の子が乗るが、校則が厳しいせいか、ニコリともしない。75分には塚口駅に到着するが、駅から少し離れたところにバス停があったので、急いで塚口駅神戸方面のホームに走る。乗る位置は決まっていて、伊丹線からの通路階段の少し向こう、電車の後ろから3両目であった。神戸大学住吉小学校から甲南女子中学に入学した目のくりっとした女の子がいつも同じ車両に乗っていて、あんな妹がいればなあと会うのが楽しみであった。塚口駅からは私一人であるが、武庫之荘駅から一人、西宮北口から三人と次々メンバーが集まり、ガヤガヤと喋りながら、六甲駅まで乗り、ここからが六甲学院までの長い坂がある。高校二年生くらいになると流石に慣れてそれほどきつくはなく15分くらいで学校に着くが、一電車乗り遅れると6、7分でかけ上げるのはきつい。

 

 学校に着くとまず、制服を脱いで、椅子にズボン、そして上着を掛け、白い上下の体操服に着替える。制服を汚さない工夫だそうだ。2時間目が終わると、上着、靴、靴下を脱ぎ、上半身裸でグランドに飛び出し、走る。運動会前は行進の練習となる。寒い冬の日はこれがきつい。昼休みには、スティームに入れておいた弁当箱を取り出し、食べるが、これがほぼ毎日、白米に梅干し、卵焼きとソーセージというコンビであった。食べ終わるや否や、すぐに体育館に直行し、ほとんど毎日、バスケットボールをしていた。六甲学院は授業の前に必ず、全員、瞑目という、目をつぶり、心を落ち着けてから授業に向かった。ところが宿題を忘れると、長い場合は授業が終わるまで机の横に正座させられ。これも数多く経験すると1時間くらいは平気に正座できるようになる。授業は4時頃に終わるが、サッカー部の練習のある日は練習着に着替えてグランドに出る。終了するのは暗くなってボールが見えなくなるまでで、冬になると6時前には終わっていた。週に3日が練習日で、それ以外の日は、自習室みたいな広い教室があり、ここでサッカー部の勉強のできる同級生に宿題を見せてもらい、帰宅する。帰るのは7時から8時頃で、夕食を食べて、テレビを見て、少し勉強して12時頃に寝た。この頃、夢中になったのは、“宇宙大作戦”、つまりスタートレックのテレビ版でほぼ毎日11時頃から放送していた。裏番組で“11PM”も放送していたが、流石に親父とみる訳も行かず、二人でカーク船長の活躍を見てから、宿題がある時はそれをしてから寝たが、そのまま寝てしまった時は、次の日は正座となる。

 

 土曜日の午後からは大きなグランドで、中学生と一緒の練習となり、日曜日は練習試合をすることが多かった。日曜日はフリーになると、阪急六甲駅までは定期が使えるので、三宮に行くことが多かった。よく行った映画館は安く、若者向けの映画がかかっていたビッグ映劇である。イージーライダーなどのニューシネマはほとんどこの映画館で見た。どこかで昼飯を食べたと思うが、記憶はなく、夕方頃に帰宅したことを考えると、家で昼飯を食べてから神戸に出かけたのかもしれない。たまには新聞会館内にある映画館にも行った。ここは大きな画面であった。家族で神戸に行く時は、阪神三宮からさんちかタウンを通り、ソニープラザも見て、上に上がり商店街をずっと行き、必ずドンクでフランスパンを買った。そして大丸を見て、元町駅から尼崎に帰る。うちの親父は、大阪育ちであったので、小学生の頃は外出といえば、大阪の阪急百貨店の上にあったデパートレストランでお子様ランチとクリームソーダーを食べるのが楽しみで、高学年になると、同じ階に少し高級な今でいう“ぼてじゅう”にようなお好み焼きを出す店があり、ここでは黒のステーキ鉄板に横長のお好み焼きがのって出てきた。うまかった。映画館はあの巨大な梅田OS劇場の70mmのシネマスコープが素晴らしかった。

 

 ほぼ50年前のことである。今でも帰省の折は、懐かしいので、わざわざ塚口駅から神戸三宮に行くことがある。




3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

広瀬先生様

ブログを読んで、とても懐かしかったです。
知ってる場所もたくさん出てきました。
昭和48年、ねこ吉は短大を卒業して元町の損保会社で働いていました。
新聞会館で映画を見たり、会社の帰り元映で3本立ての映画を見て首が痛くなったり。
梅田でスカラ座、北野劇場などで映画を見ました。OSのシネマスコープに一度も行かなかったことが悔やまれてなりません。

六甲学院は、厳しい学校のようでしたね。
確か紺色の蛇腹の制服でした。
先生が在学されていた頃より後だと思いますが、夫の同級生で、工藤哲夫さんという方が六甲学院で国語の教師をされていたことがあります。
広島学院から六甲学院に編入されたと聞きましたが。

神戸三宮阪急ビルが4月26日にオープンします。
駅の雰囲気も変わりました。
コロナが収まって、帰省されたら是非行ってみてください。

ねこ吉

広瀬寿秀 さんのコメント...

うちの姉も今は私の同級生の学校になった山手女子短期大学に行っていました。フォークソングに凝り、アリスの堀内孝雄と一緒に歌ったことがあるそうです。震災前の神戸、懐かしいですね。

Unknown さんのコメント...

広瀬先生様

ねこ吉も山手短大卒ですが、母校が関西国際大学と合併統合されて悲しいです。
関西国際大学は、先生の六甲学院時代の同級生の学校でしたね。
確か、愛の園幼稚園でしたね。
当時から、バスで園児を迎えに行ってましたね。

お姉さま、フォークソング部だったのですね。
赤い鳥、懐かしいです。

ねこ吉