2025年1月18日土曜日

映画「石中先生行状記」 ロケ場所の特定

 



上記キャプチャーは「なつかしの映画をカラーでJapanese  Nostalgic Cinemas」
(YouTube)より引用、フルムービーでみてください。


弘前商工会議所五十年史(昭和33年、弘前商工会議所編)


映画「石中先生行状記」のロケ地についての問い合わせがあった。以前このブログで取り上げたので、引用許可のお願いである。なんでも成瀬巳喜男監督の研究をされている方で、きちんとされた方である。私のブログは出典さえ明示していただければ、自由に使ってもらって結構だし、私自身も基本的には出典を明示して引用している。

 

石中先生行状記は昭和25年の作品で、前年に弘前市でロケが行われ、ざっと見ただけだが、弘前市の郊外の農村地、草原と市内の土手町、本町、弘前大学医学部附属病院などでロケが行われたのはわかる。

 

さらにどこで撮影されたかもう少し、具体的に探そうとするとこれはなかなか難しい。この映画は3つのストーリからなり、一話に出てくる弘前市のシーンは土手町の蓬莱橋付近である。二話では、セットとロケが組み合わされているが、池部良が自転車で店を出て走るシーンがあるが、ここが土手町のどこかということになる。

 

まずヒントとして店の前に“青森県スポーツ社弘前支局”の看板がある。この会社は1948-49年に青森県スポーツという週刊誌をだしていた出版社で、それ以外の記録はなく、住所は同定できなかった。お店の看板は、“卓球用品  トキワヤ”と読めるが、ここも該当するスポーツ店はない。また“石鹸小売販売店”という看板があるが、これもヒントにはならなかった。

 

次のシーンで、池部良が自転車に乗り込みところでは、前方左の三角屋根の時計台がある。これは現存する一戸時計店で、距離から推定すると、石井果実店かその隣当たりと推定できる。ただこれも使っている撮影レンズで望遠よりのレンズであれば、圧縮効果で近くに見える。

 


さらに続くシーンをみると、左の大きな商店が見られる。土手町、昭和25年に限定して、手持ちの弘前商工会議所五十年史(昭和33年、弘前商工会議所編)を見ていると、土手町89に慶応3年創業、明治35年建築の福永商店、奥他福永履物店の写真がある。屋根の形状、看板の配置、隣の白い蔵?なども完全に一致する。ただ最初のシーンでは石井果実店あたりから一戸時計店、西方向に自転車を走らせているが、このシーンでは奥他履物店が奥にあることから東方向に自転車は走っており、逆向きとなる。おそらく最初のシーンと次のカットでは撮影方法を変えたのではないかと推測する。

 

三話では、主人公が姉を見舞いに大学病院を訪ね、その帰りに土手町を散歩するシーンがある。店の前に旗があるが、逆向きになって店名がわからない。これもキャプチャーで画面を撮影し、反転すると“きたや呉服店”の店名がわかる。きたや呉服店は明治35年創業の老舗呉服店で、住所は土手町146番地となる。上土手町で、現在は駐車場になっている。大学病院から土手町に行くとなると、西側の下土手町から中、上土手町に歩くはずであるが、このきたや呉服店が画面奥にあるということは主人公は逆向き、東から西方向に歩いていることになる。これも第二話と同じで、カットによって最適なバックを選ぶ、こまやかな撮影を成瀬監督が行なっているようだ。





「なつかしの映画をカラーでJapanese  Nostalgic Cinemas」
(YouTube)  反転












0 件のコメント: