2025年1月1日水曜日

弘前市土手町 生き残り策

 



紀伊国屋書店弘前店、弘前中央食品市場、肉の富田、開雲堂、そして中三デパートと弘前市内の繁華街、土手町にあった店屋が次々と閉店した。家から一番近い繁華街として毎日のように歩いていた通りから空家が目立ち、人通りも少なくなるのを見るのは、本当に寂しい。代官町の歯科診療所を開業したのは1995年で、当時の日課といえば、6時に診療を終了し、そのまま代官町から土手町に行き、紀伊国屋書店をのぞいてから、中土手からルネス街から坂本町を通って家に帰るのが日常であった。すでに最盛期は過ぎていたが、代官町、土手町ともにまだまだ活気があり、空き店舗はほとんどなかった。下土手にあった今泉書店がなくなった頃から、次第に空き店舗が見られるようになり、当初は商工会議所、商店街の働きで、できるだけ空き店舗がないように努力していたが、次第にそうした努力も実らず、さらに店がなくなり、ついに土手町の象徴となる中三デパートが閉店することで決定的に集客力が落ちた。もはや近所に住む私さえも滅多に行くことはなく、たまに行っても人が歩いていない。中三デパートが閉店する前も人通りは少なかったが、さらに追い討ちをかけたように、土手町自体が半ばゴーストタウン化してきている。

 

弘前の中心街がどこかというと、明治中頃までは本町がメインで、それに続く町として土手町が発展した。映画館や飲食店、あるいは角は宮川、角み宮川などの大型呉服店などもでき、次第に土手町が中心街となり、1960-70年頃が最盛期で、当時の写真を見るとアーケード街には人でごったがえしていた。その後、郊外に大型ショッピングセンターができ、また五所川原にはモールもできたため、周辺の市町村からの人の流れも止まった。

 

先日、こうした土手町の危機的状況を憂慮して市長と商工会議所の役員の面談がテレビのニュースに流れていたが、周囲の人の意見を集約すると、極めて評判が悪い。なぜ年寄りばかりが集まって話し合いをしているのか。お前たちの責任でこれだけ土手町が衰退したわけなので、これからを考えると若い人を中心に会議をすべきだと。極めて真っ当な意見である。少なくと、本気で再生を考えるなら、若者中心で、それをカバーする形で、商工会議所会頭や市長が参加するべきである。もちろん大学教授や学生など意見は理論先行で、これまでの中心市街活性化案もほぼ机上の空論である。立派な青写真があるが、これまでの土手町の状況を見ると、こうした学者あるいは地域活性化の人たちの意見は全て失敗であったといえよう。

 

弘前でも、若者の中にも先端的な仕事、店をしているところ人がたくさんいる。例えば、映画「冬物語」にも登場した衣料店のSlowpork、印刷屋のSunday Seaside(実は夫婦であるが)、古書店まわりみち文庫、中古家具、雑貨のPPP、代官町のThe Stables、百石町のOrando、真鍮表札のチコリ、古着屋のButton up clothingSeesaw、また料理店としては和食の陽、イルフィーロ、100年以上続くがイメージを一変したパン屋、Boulangerie ISHITA石田パン、チョコレートの浪漫須貯古齢糖、若者とはいえないが、笹森シェフのイタリア料理のOsteria Enoteca Da Sasinoも日本に誇れる名店である。他にもあちこちに小さいながら独特な店がある。

1.こうした個性のある店が土手町に集まったら、今よりは訪れる客も増えるか?

歩いていて楽しい。おしゃれな店、喫茶店、飲み屋、レストラン、雑貨屋、家具屋、古着屋、レコード店、さらにいうならライブハウス、ミニ映画館、本屋、ここまで書いていて、20年前まで、これらの多くの店があったのだが、客は来ずに店は潰れていった。土手町が東京、下北沢や高円寺のような街であったなら、どうだろうか。おしゃれな古着屋、ブティック、喫茶店、レストラン、そんな場所であっても多分人は来ないだろう。そもそも弘前市の青少年人口(0歳から24歳)が3万3千人、このうち20歳から24歳が7千人くらい。もう少し広げて20-30歳とすれば、1万4千人くらいが、こうした若者向けの店の客になろう。これは少ない。

2.車社会なので、もっと駐車場が必要である

30年前から言われていたことだが、車で行くのが不便で、もっと駐車場を、あるいは双方通行にという声も多い。実際、空き店舗は次々と駐車場になったが、ほとんど空車ばかりで、駐車場ができても客は増えるどころが減っている。また双方通行可能にという声もあるが、これも土手町を歩いていて、ここを通る自動車のほぼ90%はただの道として使っており、土手町に用事のない車ばかりである。双方通行にすれば、さらにただの道となる。

3.市による開業資金の補助、低融資、家賃の補助

若者がここで開業できるような手助け、例えば店舗開業資金を低融資で斡旋し、1年間の家賃の半分を負担するなど、開業の敷居を低くするよう魅力的な提案はどうだろうか。今、マンションの建っている下土手町のハイローザ跡地に、昔屋台村があり、安いテナント料、開業資金で開業できた。ここを起点にその後、商売を始めてところも多く、百石町のがだれ横丁として残っている。商売はやってみないとわからない要素があり、とりあえず若者が土手町で開業できるような方策が必要だし、個性的な店が開業しやすい。

 

結論として、土手町の活性化は、そもそもの人口が減少しているのでかなり難しく、商店街ではなく、違う活用方法を検討すべきであろう。一つは一部車両以外の通行止め、いわゆる歩行者天国にする案である。そして弘前駅前から土手町までの遊歩道のような半分公園のようにし、そこでいろんな催しをやるような場所にする。もちろん冬でも雪がない、融雪道路にして、できればベンチや木、花を植えて歩いていて楽しい場所にしたい。弘前駅から上土手町に続く遊歩道は。歩いている人も少ないが、たまに音楽フェスティバルや朝市が開かれていて、繁華街とは言えないが、公園として見れば、これでいいのかと思ったりする。弘前駅から弘前公園まで、長い公園のような遊歩道は、街の景観としても優れている。昔、訪れた姫路市も駅から姫路城まで、ものすごく広い歩道があり、いろんなオブジェが飾っていた。特に北国では、冬の雪の多い季節でも完全な融雪となる歩道は冬場のジョギングなどにも活用でき、観光客にも便利なものとなる。また周辺住民にとっても家の前に融雪の効いた空間のあるのは住み良い。 




0 件のコメント: