テレビドラマ「JIN-仁」をネットフリックスで見ている。16年前のドラマで、だいぶ内容を忘れているせいか、もう一度見ても面白い。2000年から1862年にタイムスリップする話であるが、この140年ほどの社会の変化はすごく、これぞタイムスリップものという内容となっている。それに対して最近放送された「不適切にもほどがある」は1986年から2024年のタイムスリップである。約40年前へのタイムスリップである。番組では阿部サダオが演じる中年おじさんの考えのギャップが面白く描かれているが、主人公はすぐに未来社会に馴染んでしまうし、逆に2024年の人が昔にタイムスリップしても同様である。例えば1860年から50年後、1910年(明治43年)の差は明治維新を挟んでかなり大きな変化があり、さらに50年後の1960年(昭和35年)との差も太平洋戦争を挟んでいて世の中は一変している。ただその後の50年、2010年と1960年さらにいうと、大阪万博があった1970年と今の2025年ではそれほど大きな変化はない。もちろん1970年当時では携帯電話、スマホもないし、パソコンも普及しておらず、インターネットすらない。ただ人々の生活というと、テレビ、洗濯機、冷蔵庫など、今の家電のほとんどは普及しており、服装だってそれほど違わないし、音楽もそうである。当時に比べて女性の社会進出は目覚ましく、今は共稼ぎが普通になっているが、生活そのものはそれほど大きな変化はなく、多分、2024年から50年前の1974年にタイムスリップしてもすぐに慣れるだろうし、逆もそうであろう。
科学の進歩はいずれプラートーになっていく。新しいものが生まれ、そして急速に進歩して、停滞する。ほとんどのものがこの過程となる。例えば、自動車の発明は1769年であるが、実際に普及したのはT型フォードが売られた1908年、その後、40年くらいでほぼ今の車の形態が出来上がっている。同様に飛行機、例えば旅客機について言えば、ボーイング707が就航したのが1958年、それ以降、大きな変更はない。船について言えば、現在の旅客船舶とタイタニック号は、それほど差がない。短いところで言えば、パーソナルコンピュターについても1980年頃から急速に普及し、その後の開発速度は恐ろしいほどであったが、ここ10年ほどはその速度もかなり落ちてきていて、パソコンの能力もそれほど拡大していない。I-phoneも同様で、全てのものが急激に進んで、プラトーになっている。今はAIの全盛期であるが、これもあと20年でプラトーになるだろう。
要するに人間の生活に必要なものは、ほぼ満足できる状態にまでなったのが現代で、あとは核融合発電が軌道に乗り、安価なエネルギーが確保できれば、地球に住む限り、あまり進歩が必要でなくなる時代が来るのではなかろうか。最初に述べたように全ての発明は急激に発達してからプラトーになることを考えれば、もはや今以上の生活を我々人類は求める必要はなくなってきている。平均寿命が80歳から90歳、100歳に伸びても、それほど幸福ではなかろう。最近も1980年頃もコカコーラの宣伝を見たが、当時のまま全く進歩しなくて、そのまま40年経ってもそんなに不幸ではないだろう。欧米では環境問題に主眼を置く脱成長論が話題になっているが、それをさらに進めて、もうこれ以上社会的な進歩は必要ないように思われる。ことに日本という限定した空間でいえば、貧困問題などいろんな社会問題はあるにしろ、多くの日本人にとって日本は住み良い環境にあると断定できる。戦争状態のウクライナに比較しなくても、日本以外の国、韓国、中国、東南アジア、アフリカなど他国にある問題に比べると日本が持つ問題は実に些細なことで、例えば、日本では生活する上で最も大事な医療について、金がなくて世界でもトップレベルの医療を受けることができる。こうしたことができる国は世界でもそれほど多くない。そして生活する上で次に大事なのは安全性で、これも日本は世界でもトップレベルの安全な国である。就職率もよく、サラリーは世界基準に比べると安いものの、家賃や食費も他国に比べて安く、貧富の差もそれほど大きくはなく、さらに共産主義国に比べると自由度も高い。何も不満に思うことがあるのかということである。もちろん上を向いたらキリがないが、多くの人々はそこそこの生活はできている。いい時代に生まれたものである。
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