2025年8月7日木曜日

東奥日報の記事

 


先日の東奥日報に記事が載った。取材に来てもらったのが1ヶ月前なので、ボツになったかと気を病んだが掲載されてホッとしている。

 

友人の反応は、せっかく集めたコレクションをなぜ手放しのか、もったいないという声が多かった。一方、美術関係の人からは、よくコレクションを美術館で引き取ってくれたなあ、普通なかなか引き取ってくれないぞと、こちらの意図をわかってくれた。記事では日本の美術館と欧米の美術館の違いについて説明しなかったが、このブログで記事の背景について少し説明する。

 

欧米、特にアメリカは図書館と博物館あるいは美術館は、市民が作るものという感覚がある。ボストン美術館やメトロポリタン美術館もそうで、今回、絵を寄贈したシンシナティ美術館も、市民が金を出し合い、絵を寄贈して、創立され、今も運営されている。二年前にもオハイオ州の夫妻が亡くなりその資産1800万ドルをシンシナティの3つの主要美術館に寄贈したというニュースがあった。1ドル150円とすると27億円という莫大な寄贈である。またシンシナティー美術館にあるピカソ、ゴッホの名品も全て市民の寄贈による。

 

すなわち、日本の美術館は作品を購入して収蔵するのが基本なのに対して、欧米の美術館は市民による寄贈が基本となる。もちろん日本でも寄贈を受け入れることもあるし、欧米でも作品を購入することはある。欧米の美術館では市民による寄贈の申し出があれば、基本的にはすぐに対応し、必要だと判断すれば委員会、理事会を開いて寄贈を受け入れる。一方、日本では、寄贈を申し出た時点で、今は寄贈を受け付けていないと返答され、調査さえしない。まず人と時間がない。両親の集めていた絵を地元の美術館に寄贈しようと思っても、こうした対応をされてしまう。

 

 一方、日本では和室が急速になくなり、それに伴い床間にかける掛け軸も人気がなくなった。父や祖父が残し大量の掛け軸があっても、処分に困り、骨董屋に見てもらっても一つ500円といった安い値段にしかならない。骨董屋は買い取った掛け軸をネットオークションで公開し、最近は中国人が買っている。近年、掛け軸を中心として日本美術が急速に消滅している

 

徳島県立美術館の収蔵作品数が1万点を超えるというニュースがあった。開館当初は購入による作品収集も多かったが、最近は作品を購入する予算も少なく、年間の収集点数も1-3点にとどまっている。それに反して、美術館による積極的な調査研究、収集活動が次第に効果を及ぼし、最近では市民による寄贈も多くなってきて、2023年度では359点の寄贈を受けたようだ。それにより郷土作家のまとまったコレクションとなり、収蔵作品展を頻繁に開催している。

 

青森県立美術館について調べると、所蔵作品は令和元年で4767点であるが、ここも作品購入の予算が少ない上、市民からの寄贈についてはあまり積極的ではない。郷土作家といっても奈良美智さんの作品を寄贈する人はいないだろうが、他のあまり知られていない郷土作家の作品はたくさんあるはずである。先日も、棟方志功の師匠と呼んでも良い下澤木鉢郎の作品3点の寄贈を青森県立美術館に写真付きでメールした。一応、見てみて、委員会に諮ってから受け入れを決めるという。ただ委員会の開催は一年後とのことであった。

 

これは弘前市立博物館や弘前レンガ倉庫美術館でもそうで、原則的には市民からの寄贈や寄託は受け付けていない。まず対応する職員が少なく、また保管するスペースもないからである。ただよく考えていただきたいのは、博物館、美術館は、所蔵作品を市民に見せる場でもあるが、同時に市民の宝を保存する場所でもある。放っておくと、家のある古いものはどんどん捨てられてしまう。たとえば、世界中で話題になっているボロ、ツギハギだらけの衣料も田中忠三郎さんの努力によりコレクションされているが、これなど汚いものとして捨てられる運命であるし、どこも寄贈できないのであれば、捨てられていく。あれほど弘前で盛んであった弘前木綿がほとんど残っていない。

 

もちろん市民が寄贈を希望するものの多くはガラクタに類するものかもしれないが、それでも後世に残すべき作品もあるはずで、少なくとも専門家が仕訳をしなくてはいけない。最初に述べた徳島県立美術館の場合、1。寄贈を受けるため所有者や関係者のもとに足繁く通う、2。所有者の代替わりに際して寄贈の相談を受けるなどの、継続的な活動を行い、さらに寄贈品はそのまま無条件で収蔵するのではなく、館内で熟議し、専門家と協議した上にコレクションにするという。

 

特に青森県では、耐震強度の問題で、青森県立郷土館が休館のままになっている。ここは青森県でも比較的寄贈を受け入れるところだっただけに、このまま休館が続くのは寂しいし、その間も貴重な歴史的資料が失われている。アメリカの美術館や博物館は市民の寄付や寄贈で作られてきたため、財政的にも国、州、市に依存しておらず、地元会社や個人の寄付で成り立っている。市民ボランティアも多く活用している。それに対して、日本の多くの博物館や美術館は公的予算で成り立つところが多い。弘前博物館でも、実は後援会があるがほとんど知られていない。安い会費で、企画展など無料で観覧できるので、お得なものであるが、ほとんど広告していないせいか、会員数は減っている。これなどもっと市民にアピールすべきである。また市民からの寄贈については、まず美術館のスタッフの増員、あるいは収容スペースの確保とともに、もっとボランティアを活用すべきである。リタイヤした人の中にも美術品が好きな人もいるだろう。図書館ではそうしたボランティアの人も見かけるが、あまり博物館や美術館では見かけない。

 

図書館、美術館、博物館というのは住む人の文化的な顔である。文化的な都市を目指す弘前市であるならば、もう少し予算、作品収集ではなく、スタッフ予算を増額、あるいは積極的なボランティアの募集、講演会の拡大など、やりようはあると思う。人口17万人の街に、博物館と美術館があるのは贅沢なことであるが、なんとか市民も含めて支えていきたい。

 

 


0 件のコメント: