2008年3月20日木曜日
葛西善蔵1
葛西善蔵ほど偉人という名とは縁遠いひとはいないであろう。偉人がひとのために何かをなすひととすれば、善蔵は死ぬまで自己中心で周りのひとに迷惑ばかりかけてきた。極端の両極はある意味でつながるもので、そういった意味で津軽らしい人物として紹介したい。
先週から「哀しき父 椎の若葉」(葛西善蔵 講談社文芸文庫)と「椎の若葉に光あれ 葛西善蔵の生涯」(鎌田彗 岩波現代文庫)を同時に並行して読んだ。率直な感想として、現在の目から見ると善蔵の小説はそれほど面白くない。内容は限りなく暗く、悲惨であるが、それでいておかしい。それは鎌田さんの本を読むと、もっと鮮明になってくる。小説以上に葛西の生き方自体が哀しく、おかしい。太宰、寺山、棟方志功などと相通じる津軽人の特徴をもつ。几帳面でいながら、深刻に考えない、悲惨な状況にありながら、それを客観的にみて自虐的に楽しむ、照れ屋のくせに見栄っ張り、都会にコンプレックスを持ちながら反発する、相矛盾した性格を併せ持つ。「信じて倒れる者に悔いなし」という聖書の一節を愛し、妻子の生活のために一切働こうとはせず、友人から金を借りては飲み、42歳の生涯を閉じた。ここまでくると単なる怠け者という枠を超え、求道者の領域に達し、その精神はあくまでピュアである。善蔵の性格を知るエピソードとして友人の宇野浩二のものが好きだ、長文であるが引用する。
「葛西は私が行ったのを喜んだ。それは彼が訪問記者でもいいから何か職を、訪問記者は経験がある大丈夫出来る、というので、私が高須芳次郎が訪問記者が入るといふ口を知らせに行ったのだ。彼は喜びながら、右手の何も入っていない押入から古新聞紙を出して、左隣の部屋の襖を開けて入って行った。その瞬間、四畳半の何一つない茶の間らしい部屋の隅に、二人の子供が雀のようにくつ附いて、きちんと行儀よく膝に手を置いて、座っているのを私は見た。やがて、「哀しき父」の葛西は赤色の七輪に、先の古新聞紙とその上に炭を載せたのを持って出てきた。それからもう一度引返して、アルミの茶瓶を持って来て、後ろの襖を閉め、先の七輪の中の古新聞紙にマッチで火をつけた。それを団扇で煽ぎながら火のおこった頃を見計らって、茶瓶をかけた。それから部屋の隅にあった茶碗を出した。彼は僕に白湯を振舞ってくれたのである。そして真先に、「どうも作の方が出来ないので困る」といった。」(宇野浩二「葛西善蔵」)
こんなことがあっても善蔵は1ヶ月も高須ところには行かず、訪問記者も3日でやめた。
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