2011年6月30日木曜日
明治二年絵図、寄贈しました。
本日、弘前市立図書館に「明治二年弘前絵図」と「弘前藩領絵図」の2点を寄贈してきました。ようやく肩の荷がおりました。あいにくの曇り空でしたが、車がないため、雨が降らない前にと思い、急いで図書館を訪れたところ、ちょうど図書館長もいましたので、地図についての説明をし、寄贈いたしました。大変喜ばれ、こちらもうれしく思います。今後、研究者に活用いただければ幸いです。
実は、今回の訪問の前に、弘前大学のある先生にも連絡し、もしよろしければ、一度みていただき、そのまま研究室に運び、研究が終了してから、図書館に寄贈する旨のメールを差し上げました。図書館に寄贈すると、なかなか借出して、研究するのが難しいことと、きちんとした専門家の研究も必要と思ったからです。ところが、返事はこれらの地図は他にもあり、それほどめずらしいものではなく、特に研究に値するものではないという冷たい返事でした。明治四年士族引越之際地図あるいは津軽国絵図を指したものですが、例えそうであろうと、研究者なら一度は見てみて、それで判断するものだと思います。ましては、明治二年弘前絵図は明治四年士族引越之際地図の原本であると思いますので、コピーを見たからその原本は見る必要がないということで、これは研究者としてはあるまじき行為と思われます。弘前大学医学部の松木名誉教授は、渋江抽斎はじめ、弘前の幅広い人物を研究、著書にしていますが、本職の医学部の教授という忙しい身でありながら、ある人物を調査しようと例えば沼津の子孫のもとを訪れたりしています。弘前大学から私の自宅まで車で10分もかからないでしょうが、それも時間がないようです。
医学部も含めた理科系の学問は、ほとんど追試と言ってもよいでしょう。ある仮説を証明するためには、多くの追試を行い、ようやくそれが事実として認知されていきます。特に医学の臨床系の研究では、人間を相手にするため、多くの研究は統計的な処理を行い、結論を出していきます。その傾向が1%の有意の相関をもつ、二群間には0.1%の有意差があるという具合に。当然、そういた傾向がある、そういった差がある可能性があるというだけで、被験者の数を増やしたり、別の集団で行って、初めて少しずつ事実として認められていきます。一方、文科系、とくに歴史においては、もともと事実というものが、あってないようなもので、新しい知見、新しい解釈などが研究となります。そのため新資料の発見といったことが脚光を浴び、この地図も私が本にする前では興味があったかもしれませんが、本として公開された後は興味がなくなったのかもしれません。あくまで私が以前から興味をもっていた弘前の偉人の生誕地を調べただけの話ですので、地図そのものの専門的な研究はまだまだあると思います。幸い、弘前大学の他の研究者から違った観点からこの地図に興味があるとのメールもありましたので、いくらでも資料を使い研究してほしいものです。
それにしてもようやく責任を果たした気がします。今のところ、友人、知人、各地図書館への寄贈が約100冊、HPでの注文が10冊、紀伊国屋での販売が約20冊くらいです。皆様より色々なお便りいただき、本当にこの1年間は楽しませてもらいました。今後は本業に戻り、矯正歯科の研究にもまた着手したい気持ちでいます。
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2 件のコメント:
紀伊國屋で一冊買いましたよ
ありがとうございました。宣伝も一切ありませんが、そこそこ売れているようです。
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