今週の月曜日に行われた弘前ロータリーでの内部卓話でしゃべったものです。昨年は会長をしていましたので、卓話をしゃべるのは1年ぶりです。
日系アメリカ人最初の女医 須藤かく
今日は、日系アメリカ人最初の女医、須藤かくについてお話したいと思います。須藤かくと言っても知っているひとは、おそらく一人もいないと思います。というのは、今回発表するまで、全く知られていない人物ですから。
ちょうど1年前の10月に、ノンフィクションライターの川井龍介という方からメールをいただきました。東奥義塾と深浦高校のあの有名な野球の試合を題材とした「122対0の青春」(講談社文庫)を書かれた方です。アメリカの移民記録を見ていると、1861年に渡米して、1963年にフロリダで亡くなった須藤かくという女医がいて、東奥日報の依頼で調べている。父親の名前はTsuji、母親の名前はYeuriということしかわからないということでした。
といってもこのような人物について全く聞いたことがないため、わからない、医師関係は弘前大学名誉教授の松木明知先生に聞いてくださいと答えました。ただ個人的に少し興味があったので、私のデータベースで“須藤”を検索しますと、20人の名前がでました。一人一人をインターネットで検索しましたが、佐藤幸一さんの「安済丸船将 須藤勝五郎の生涯」という本の中でほんのちょっとだけ、須藤かくのことが出ていました。早速、弘前図書館に行って、その本を見てみると、須藤かくの日本での履歴がしっかり調べられています。おそらく子孫の方からの情報と思います。というのは、須藤勝五郎は藤崎教会の熱心の教徒ですし、また著者の佐藤幸一さんも、信者さんで藤崎教会の歴史に詳しい方です。すでにお亡くなりになっています。
それによると、須藤かくは1861年、文久元年生まれで、ちょうど明治維新の時には、6歳で、女性にとっては、教育の狭間期でかわいそうな年回りでした。父親、須藤新吉郎は、優秀な人物で、野辺地戦争、函館戦争に参加し、函館にいるときに近代土木法の知識を得て、維新後も青森県の役人となり、青森市の町づくりに参画します。娘の教育にも熱心なひとで、明治8年に出来たばかりの東奥義塾小学科女子部に娘を入れます。この時、須藤かく14歳、スタートからして遅れています。小さな子供に混じって洋学の初歩を学び、明治9年には横浜共立女学校に入学します。共立女学校は、明治4年にできたプロテスタン系の女子校では日本最古の学校で、宣教師バラが関係している学校ですので、本多庸一の協力があったのでしょう。ここでの生活は、弘前の生活とは正反対のもので、教師は外人、生活の寄宿舎に入って学ぶというものです。当初は、英語を学ぶ目的で入ったのですが、先生や先輩の姿をみて、次第にキリスト教に惹かれるようになります。明治14年ころに卒業しますが、すぐに横浜海岸教会で受洗します。その後、教会活動をしていますが、ちょうど、その時に中国からやってきたアメリカ人宣教医、アデリン・ケルシーという女医と知り合います。彼女自身、中国の医療活動を通じて、母国語がわかる医師を育てなくてはいけないと考えていましたので、優秀で熱心な須藤かくと阿部はなという日本人をアメリカの医学校に行かせようということになりました。
1891年に渡米し、しばらくアメリカの文化と言葉を学び、1893年にオハイオ州、シンシナティーのシンシナティー女子医大に入学し、1896年に優秀な成績で卒業します。地元の新聞でも大きく取り上げられました。学費に2500ドルかかるため、20州以上の各地の長老教会で日本文化の講演をして寄付を募り、学費を工面しました。さらにケルシー女史が日本でもらった美術品も売ったりしました。1898年、再びケルシー女史と須藤かく、阿部はなは日本に来て、横浜にできた横浜婦人慈善病院で貧しい人々の治療を行います。非常に積極的な活動をしましたが、日本人院長との対立、アメリカWUMからの援助の削減から、失意のまま1902年にケルシー女史の故郷、ニューヨーク州、カムデンの農地に帰ります。そして須藤かくの妹の家、成田八十吉一家も渡米し、農業経営を手伝ってもらいます。
1911年には長年の親友、阿部はなが結核にため、48歳の若さで亡くなります。おそらく横浜で感染したようで、渡米後はずっと療養していました。カムデンでの生活はケルシー女史、須藤かく、成田一家による静かで、信仰深いものでした。1930年ころ、高齢のケルシー女史のために、カムデンから暖かいフロリダのSt.Cloudに転居します。そして、1963年に亡くなるまで、ここにいました。
30歳で渡米し、医学校卒業が35歳。明治期の感覚からすれば、今の40歳以上の女のひとが、弘前からはるばるアメリカに医学を学びにいく、こういったパイオニア精神は、すごいものだと思います。死後50年以上経って、こういった人物が発見できたことは、供養になったかと思っています。
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