2013年11月7日木曜日

山田兄弟 44

 先週の日曜日、台湾の高雄歯科医師会の先生、20名ほどが弘前に来た。15分ほど貞昌寺で山田兄弟の話をしてくれと頼まれ、9時45分から待っていたが、予定の10時になっても来ず、携帯電話も知らせなかったので、そのままじっとまつこと40分して、ようやく一行が乗ったバスが来た。できるだけ短くということで、山田良政、純三郎の碑の前で、碑のいわれや蒋介石、緯国、経国との関連などを10分ほど話した。台湾の先生も初めて聞く話のようで、大変喜んでいた。弘前と台湾との関係を改めて実感した次第である。

 そうこうする内に、昨日、先祖が弘前出身の方からメールをいただいた。何でも先祖が弘前藩の士族で、その一人が水産伝習所(現:東京海洋大学)の一期生であるとのこと。場所はすぐに判明したが、この水産伝習所の方が一向にわからない。そこでインターネットで検索すると、近代デジタルライブラリーに「大日本水産会水産伝習所沿革」という本があるのを見つけた。読んでいると、一期生の名簿にメールをいただいた方の先祖の名前があるが、他に山田良吉の名がある。山田良政の幼名である。これには驚いた。確かに山田良政は東奥義塾卒業後に、青森師範学校に進むも賄い事件で退学した。東京でぶらぶらしている時に陸羯南の助言で中国語の修得と実用学を身につけるために水産伝習所に入学し、卒業している。1年間のことで、あまり資料もなかろうと調べていなかったが、こんなところにあるとはびっくりした。さらにメールをいただいた方が、東京海洋大学で調べた資料をお送りいただいたので、若いときの山田良政の写真も見つかった。

 水産伝習所の一回生は明治22年1月に63名の生徒が入学し、翌年の2月には48名が卒業した。卒業者名簿をみると、青森出身者が多い。豊田駒五郎、浪岡鐵男、山田良吉(政)、今周之丞(洵)、倉光吉郎の5名の名が見える。他県に比べて多い。2回卒業生では青森出身者は石崎伝三郎、村木重次郎、中村経一、3回生は能代日出雄、江良重太郎、青海懐?、種市喜太郎、小笠原方策、三浦貫一と多い。

 伝習所のその後の同窓会誌を見ると、山田良政 在台湾、上海三井洋行 となっており、青森県会員報告では、山田良政氏 南清地方にありてチャン頭を振り回し東奔西走 と書かれている。

 青森県人が多い理由としては、青森県の新しい産業として漁業が脚光を浴びたことや、おそらく陸羯南の手引きで山田良政に声がかかり、良政が東奥義塾の同級生を誘ったのではないかと勝手に推測している。山田以外の人物は、豊田駒五郎が笹森儀助と一緒に千島探検に行ったようだが、他の人物についてはほとんどわかっていない。

 一回生の卒業写真があり、内村鑑三の姿(黄色矢印)がある。内村はアメリカから帰国後に、一時、水産伝習所に勤務していた。すでに山田良政は東奥義塾時代にキリスト教に入信しており、内村と接触があった可能性もある。この写真には山田良政も写っている(赤矢印)。最初、内村の上の人物が良政かと思ったが、説明によると左端の人物で、この写真が山田良政の最も古い写真となる。山田良政は一応、水産伝習所の卒業生なので、現在の東京海洋大学の人物一覧に載せてもよかろう。

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