2013年12月25日水曜日

明治初期の弘前地籍図3



<考察>
1. 絵図について
 使用されている紙は、裏打ちはされているものの、薄く、上質な和紙は用いられておらず、紙質からは製作年度は明治以降と思われる。製作年度ははっきりしないが、間口、奥行き、番地を載せたほぼ同様の弘前市立図書館所蔵「明治町割町図  馬喰町」、「小人町」および「若党町」5)は、明治20年(1887)ころとなっている(他には弘前市史にある「新楮町絵図」もやや書体は違うが、間口、奥行き、番地、戸主などが記載されている。説明はない)。年代推定の理由は不明である。

 絵図に載っている人名から絵図の製作年代を推定する。まず荒町のはずれに、兼松郎の名がある。「明治二年弘前絵図」6)では同所の屋敷主は兼松艮になっている。弘前藩の儒学者、兼松石居の長男が艮で、郎は三男である。10歳の時、万延元年に兼松本家の穀の養子となった。穀は明治5年に亡くなり、兼松本家を継いだ。その子、七一は朝陽小学校の明治11-20年入学者の中にその名が見え、その当時の住所は塩分町となっている7)。この頃に、すでに荒町から塩分町に移ったものと思われる。となると兼松郎が荒町にいたのは明治5年から20年ころ思われる。また同じ荒町の長尾又右衛門所持地の名が兼松郎の前にある。長尾周庸(1817-1886 文化14明治19年)のことである。「明治二年弘前絵図」では同所は長男介一郎の所有であったが、介一郎が転居したため、親の周庸の所地となったのであろう。ただ周庸が家督を長男介一郎に譲ったのが明治9年であり8)、それ以降であれば所有者を移す必要はない。鷹匠町小路に阿保良助の名がある。北海道、山鼻に明治9年5月に入植した屯田兵の記録の中に、阿保良助(青森県)がいて、同一人物であろう9)。自宅を弘前に残したまま入植した可能性もあるが、一家をあげて北海道に移住したとなると、この絵図は明治9年5月以前となる。また明治4 年に五所川原の羽野木澤に行った儒学者の櫛引儀三郎の名が鷹匠町小路にはないことから、明治4年以降であることは間違いない。これらのことから人名による絵図の製作年代は明治5年から9年5月と推定される。

 地租関係資料が揃っている税務大学校租税資料室からの回答では、1.明治10年に鷹匠町に作られた小学校が載っていない。2.明治16年に架けられた岩木橋が記載されていない。3. 馬屋町と鷹匠町の間の中州に「宦地」(官地)の文字があるが、明治6325日太政官布告114号(地所名称区別)で旧来の官地、官山、官林などの名称は、皇宮地、神地、官庁地、官用地、公用地、私有地、除税地に名称が変更され、さらに明治7年11月7日の太政官布告120号で全文改正され、官有地と民有地の2種類になっている。このことから「官地」の名称を使うのは明治63月以前の内容である。4. すべての商家について屋号でなく苗字を名乗るようになるのは明治3919日以降である。1から4までの理由で、この絵図は明治3年9月から明治6年3月に絞ることができるということであった。鷹匠町に明治10年にできた小学校は博習小学のことで、現在のサムエル保育園あたり、絵図では山本信喜、石岡利兵衛宅に作られ、明治16年に城西小学校となった。これらの税務大学校の調査から、本図の製作年代は明治3年9月から明治63月ころまで時代は狭められる。

 さらに租税資料室の回答として、絵図製作の目的ははきっきりしないが、絵図の形状や中味が一字限図とは異なり、明治6年までに製作されたとなると、「壬申地券」に伴う調査で作られたものでないかと推測している。「壬申地券」は納税者の申告制であり、絵図で描かれている地区においては、名主らが区戸長らと協同して、納税者側から地区の地券の元となる番地、戸主、宅地面積などの調査を行ったと思われる。多くの地区では、地租改正事業は困難を極め、明治7年から始め、明治11年には一応終了したが、かなり拙速で、不正確な測量だったため、実地と台帳に不一致を生じた。そこで明治18年(1885年)2月に大蔵大臣訓令をもって、「地押調査ノ件」が各府県に訓令され、翌年、大蔵大臣内訓により、地押調査施行の順序と注意が定められ、より正確な測定が行われた。この事業は、以後、明治21年(1888年)まで4年間にわたって行なわれた.

 以上のことから、本図は、明治6年前後のもので、いわゆる「一字限図」、「地押調査図」に先行した地籍図である可能性がある。明治6年というと、ほぼ幕末期の弘前藩の宅地状況を残しており、江戸末期の士族、町人を含めた所在地、宅地規模を示した貴重な絵図である。さらに従来、明治20年ころと思われた小人町、若党町、馬喰町の「明治町割図」も、もっと古い可能性もあり、再調査が必要であろう。

*貴重なご助言いただきました税務大学校租税資料室には大変感謝いたします。特に上記、3の「官地」の名称考察は、驚きました。さすが専門家と思いました。どうもありがとうございました。

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