2013年12月9日月曜日

明治初期の弘前地籍図1


1.      青森県弘前の地租改正地引絵図について
 本絵図は、弘前市新町の岩見宅の新築工事の際に、旧宅から平成256月に発見された。岩見家は江戸時代、米、酒販売をし、弘前市紺屋町の名主を務めた商家で、本絵図は親類の郷土史家、岩見常三郎氏(1867-1947)から贈られた。
 絵図は薄い和紙でできており、裏打ちはされているが、反故紙などが使われ、折り目の一部は破損している。絵図はカメラにて分割撮影し、それを補正してつなぎ、2GBの高精度デジタル画像とした。デジタル化にあたっては、折り目は延ばして撮影しているが、破損部はそのままの状態で撮影した。
 絵図の大きさは実測で179.5cm×146.0cm、現在の弘前市新町、馬屋町、鷹匠町、駒越町、西大工町、平岡町を含む。一軒、一軒の家はすべて手書きで書かれ、戸主名、間口、左右の奥行、そして後部幅が記載されている。また新町、駒越町、西大工町、平岡町などには併せて番地がふられているが、馬屋町、鷹匠町などの士族町には番地の記載はない。一部の道にはその道幅も記載されている。

2.      計測方法と計測項目
多くの家は、道に沿って間口が分たれ、奥行は左右で異なる台形をしている。
そのため、各家の概算面積算定は、間口×(左右奥行の平均値)で求めた。デジタル化した画像をコンピュータ上で拡大し、記載されている各家の間口、奥行きを、集計ソフト「エクセル」に打ち込んだ。間尺表記をメートルに換算して、間口、奥行き(左右の平均)、面積を求めた。絵図が破損し、読み取りが困難な箇所は削除した。
 さらに町ごとの平均値および標準偏差を算定し、間口、奥行、面積については、間尺および坪に再度換算して、グラフを作成した。

3.      結果
1)新町
 絵では阿羅町と当て字になっているが、岩木川の氾濫が多かったことから荒町と呼ばれていた。現在は、新町(あらまち)と表記を変えている。町人を主体とした町であるが、荒町川端町の兼松郎、枕崎四五右衛門、三浦元衛、長尾又右衛門所持地の4軒は士族の宅地である(明治二年弘前絵図では、兼松艮(儒学者、兼松石居の長男、郎は三男)、佐藤元次郎、三浦元衛、長尾介一郎の名がみえる5))。
 新町には上記士族の家も含めて、252軒の家がある。番地は254番地まであるが、二つの番地は記載がない。
 間口の平均は8.9m(SD5.8m)、奥行の平均は38.3mSD7.2m)、宅地面積の平均は345m2であった。これは間尺で表すと、それぞれ45尺、21間、105坪となる。ちなみに上記4軒の士族の宅地は、平均で間口7間、175坪となる。また地所の大きいのは、今泉万衛門宅は767坪、続いて藤田五三郎宅が499坪、高橋清七宅が491坪となる。
 屋敷面積が50坪から110坪の小さな敷地の家が178戸で、全体の70.6%を占める。





0 件のコメント: