2014年12月23日火曜日

なぞの画家 芳園







 シンシナティー美術館のHou-meiさんから“Masterpieces of Japanese art”という本を送っていただいた。私の須藤かくと阿部はなについての論文も取り上げていただき大変感謝している。内容はシンシナティー美術館が所蔵する日本美術品をくわしく解説した本で、日本美術に対して予備知識のない一般アメリカ人にうまく説明するのは難しかったと思う。取り上げられた作品は、名前だけ見ると、いわゆる有名作家は少ない。表紙を彩る動物戯画は小川破笠の肉筆画であるが、破笠といえば日本人からみると漆器作家と見られる人で、肉筆画は浮世絵がやや知られている程度である。ところがこの本で紹介さえている破笠の作品は、コンデイションがやや悪いが、従来の破笠の肉筆画を一変させる優れた作品である。

 本で紹介されている他の作品も、作家の名前で評価したものではなく、純粋に絵の内容で選ばれたもので、Hou-meiさんの審美感、鑑識眼が表れている。伊藤若冲のように海外での評価が先にあって、その後、日本で評価される作家は最近多い。河鍋暁斎などもそうであろう。こういった強い性格の絵は、日本では床の間が荒れると言われ敬遠されてきた。一方、外人からすれば、浮世絵もそうだが、こういった絵の方がおもしろい、西洋画にはない表現とうつるのである。そのため明治期に多くの作品が欧米に流出した。シンシンティー美術館の日本美術品もそうである。

 この本の中に不思議な作家がいる。天岩戸伝説をモチーフにした作品で、天照からの光が印象的でみごとな構図となっている。作家名は“芳園平吉輝”あるいは“芳園輝”の落款がある。芳園の号は、“西山芳園”が有名である。実際に大英博物館所有の芳園“の名のつく作品はすべて西山芳園の作となっている。ただインターネット、デジタルライブラリーで西山芳園の作品を調べると、号はすべて”芳園“のみで”平吉“や”輝“に記載はない。西山芳園の名は成章、字は子達で、平吉、輝との接点はなく、また画風も異なる。

 そこで他の“芳園”を探すと、菊池芳文の師に滋野芳園がいる。この人についてはほとんどわからない。他には「森琴石.com」に京都府画学校の出仕画人の一人に、明治17年のところに岸派の画家として香川蟾麿(芳園)の名がある。さらにデジタルライブラリーの「現今日本画家人名録」(明治18)の岸派の中に「兵庫 山水 澁野蟾麿 芳園」とある。おそらく滋野の間違いであろう。蟾麿という名は珍しく、おそらく滋野蟾麿(芳園)=香川蟾麿(芳園)であろうか。一方、「本朝画家人名事典 上」(明治26年)には「芳園 香川芳園は京都の人なり岸岱に就いて画を学ぶ天保十一年生(1840)」となっている。さらに「菊池芳文 菊池常次郎と称す京都の人なり画を滋野芳園に学ぶ文久二年生(1862)」と香川芳園と滋野芳園は別人物のようにも思える。作品はインターネット上ではないが、唯一、大英博物館所蔵の狐の嫁入りをモチーフにした“西山芳園”作となっている絵は、この滋野あるいは香川芳園の間違えであろう。Hou-meiさんも作品説明で、天岩戸の絵は西山芳園の作品でないとしているが、私もそう思う。画風からはおそらく幕末から明治中期に活躍した日本画家であることは間違いない。


 Hou-meiさんも、このなぞの“芳園”について調べている。是非とも情報をお持ちの方は連絡ください。3画像は上記本から勝手に引用しています。申し訳ございません。本はアマゾンでも買えます。最後の画像は大英博物館のHPからの引用です。

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