2014年12月9日火曜日

須藤かくと阿部はな 2 


 前回のブログで、須藤かくと阿部はなの写真が見つかったことを報じた。両名のインターネット上の検索はかなり頻回に行っているので、HP上で公開されたのは最近と思う。写真の左右の人物、どちらが須藤で、どちらが阿部なのか、確認をしたいが、これが難しい。須藤カクについては91歳当時の新聞写真は残っているが、20歳代と90歳代の写真を比較して、同定するのはかなり難しい。阿部はなについては40歳ころの死亡記事に写真が載っているが、像が汚くて、ほとんどわからない。

 この写真はイリノイ州のエバンストン、デービス通り40番のスミス写真館で撮った写真である。当時、須藤、阿部はシンシナティーの女子医学校に通っていて、その資金集めに各地の教会を訪れ、日本の文化紹介などをして寄付を募った。エバンストンはシカゴのすぐそばで、シンシナティーから結構距離があり、かなり広域に資金集めをしたようだ。エバンストンにはノースウェスタン大学があり、メソジスト系の大学なので、何らかの用事で行った際に写真を撮ったのであろう。かなり鮮明な写真である。須藤らの写真の上の人物、Richard Ernstはケンタッキーからの上院議員で須藤らとは関係ない。

 次の写真はMiss Matsue ?1896  Kanazawa Girls’ school-japanとなっていて、石川県金沢公園地の吉田好二写真館で撮影したものである。撮影年は1896年となっている。さらにその下の写真には7人の少女が写っており、Mr.Hesser’s Class of 1891となっている。Mr.Hesserとは北陸学院の創始者、Mary K.Hesser(1853-1894)のことである。Hesserはウェスタン女子セミナリー(大学)に入学し、ここを卒業するとすぐに、来日し、1884年に金沢に来て、金沢女学校が設立された。この写真の7人の少女は金沢女学校の初期の生徒達であろう。そうすると1896年に撮影されたミス・マツエも金沢女学校の生徒なのであろう。最後の写真は金沢市の小池兵治写真館で撮った女性のものだが、その上の写真の座っている3名の一番左の人物のようである。人名はわからないが、ヘッサーが帰国後に、本人あるいは親戚が母校のウェスタン女子大学に寄贈した資料の一部であろう。

 一応、写真は金沢のミッション系の伝統校、北陸学院と関係しているので、何かの参考になるかと思い、学校の問い合わせ先にメールしたが、今のところ返事はない。来年開校130年記念ということだが、何かに役だってくれれば、うれしい。またシンシナティー美術館の東洋美術ホウメイさんにも須藤、阿部の写真を送ったが、ちょうど来年の2月から8月までの半年間、日本美術の所蔵展を行う予定で、その中に須藤かく、阿部はな、ケルシー女史の話を扱いたいと言っていたので、その折にはまた報告したい。アメリカの来館者にも日本から来た二人の女性について、興味をもってもらえばうれしい。

 須藤と阿部の写真には、Dr.’s Sudo and Abeとの表記があるが、アメリカ人にこの意味について聞いてみたところ、Dr. Sudo and Dr. Abe の意味ではないかと言っていた。Dr.Sudo and Abe では阿部が医師でないと誤解される可能性があるとのことであった。さらに1890年ころには、Doctress(女医)という言葉があり、この略語としてDr.’sの可能性も指摘された。通常の所有形ではない、使い方である。

 いずれにしても実際の写真が見つかったことは、研究者としてはこの上もなくうれしく、さらに同定できれば、いうことなしである。阿部はなについては、ひょっとして金沢の出身かと思ったが、特に該当する人物はおらず、ケルシ−女史の出身校がウェスタン女子大学と関係があるため、この写真がここにあるのだろう。ケルシー女史はMount Holyoke大学を卒業し、医学校を卒業後に、ここで研修して、中国に宣教活動のために行った。ウエスタン女子大学はMount Holyoke 大学の姉妹校だった。 

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