2015年11月26日木曜日

原節子さん 死去


 日本を代表する女優、原節子さんが亡くなった。実際は、今年の95日に亡くなったが、訃報は2か月たった昨日、マスコミに伝えられた。謎に包まれた女優であった。最後に出演した映画は1962年の「忠臣蔵 花の巻」であるから、引退して53年、つまり現役を引退した年齢より長くたっている。42歳で引退し、その後50年以上、親しい人以外は誰とも会わず、鎌倉で過ごした。

 澤村貞子さん、田中絹代さんなど歴代の名女優、現役の吉永小百合さんと比較しても、決して演技の上手な女優ではなかったが、黒澤明、成瀬巳喜男など名監督の映画に出演したこと、とりわけ小津安二郎の「晩春」、「東京物語」、「晩秋」の三部作に出演したことが決定的な意味を持つ。これらは小津の代表的な映画というだけでなく、日本、いや世界を代表する映画であり、世界のベスト映画にも必ず選ばれる名作である。今後、映画、あるいは映像がある限り、数百年残る作品となろう。その映画の主演女優であるから、その名は歴史に永々に残ることを意味する。

 この人に魅力は、現実感がほとんどない点である。時代も今と違うと思うが、原節子さんが演じる人物は、現実社会にはその類型が存在しない。東京物語に出ている杉村春子さんは優れた女優で、演技もうまく、いやみでせっかちな、こうした人物は実際にいるように思わせる。ところが原節子さんが演じる人物は、話すにしても、泣くにしても、その日本人離れした顔に相まってリアルテイを感じさせない。映画だけの、スクリーンだけの人物であり、他の例えで言えば、小説の中の主人公のような感じである。今見ても、人物、話し方、発音、どれをとっても、こんな人はまわりにおらず、当時でも極めて珍しい存在だった。

 1960年代になると日本映画も大島渚などヌーヴェルバーグの流れに沿った新しい映画作りが活発となり、原さんの引退の直接な原因は小津安二郎の死であったが、日本映画の流れも原さんのキャラクターとは次第に相容れなくなってきたのだろう。引退前で言えば、「秋日和」、「小早川家の秋」など小津の作品以外はほとんどまともな作品はない。当時の映画館に来る観客からも、小津の映画は古い、退屈だと、上映中は眠っていたとの声も聞く。40歳を過ぎた原さんの役も、主役ではなく、脇役であったが、演技がうまいわけではなく、そのカラーが全く抜けず、違和感のみが残った。

 親父が戦前にもらった原さんと轟夕紀子さんのサイン入りブロマイドがある。どのような経緯で家にこうしたブロマイドがあるかわからないが、親父は東京歯科専門学校(現:東京歯科大学)を入学し、昭和16年に学徒で出征した。その後、幹部候補生の教育を受け、満州のソ連との国境近くに配備された。学生、軍隊時代で東京にいた時分にサイン入りブロマイドを手にしたのだろう。そしてそれを大阪あるいは徳島の実家に預けていたようだ。

 同じく引退したまま姿を現さない歌手の山口百恵さんの場合、旦那さんの三浦友和さんは芸能界で活躍しているし、息子さんも芸能界におり、全く社会とは切り離されていない。歌手のちあきなおみさんの場合は、夫と死別後に、一切の活動を停止し、公の場から姿を消した。原さんとよく似ている。経済的に余裕があってのことだとしても、華やかな芸能界から忽然と姿を消し、有名人だけに外出もできないような、半ば隠遁生活を長年に渡りできたことは驚く。夫、好きな人との離別は、それほど深刻な影響を与える。今敏監督のアニメ「千年女優」は彼の最高傑作であるが、ある意味、原さんの唯一のオマージュ作品であり、昭和という歴史が語られる時、千年たっても残る女優という意味を合わせたのかもしれない。合掌。


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