家の近くのデパートには、大型書店があり、歯科関係の専門書も充実している。最近はあまり矯正の本を買うことがないため、どんな本が出ているか気になった。“一般開業医にもわかる”、“やってみよう”、“GPのための”、“抜かずになおす”といった言葉がならぶものが多い。簡単に、手っ取り早く矯正治療を学びたいという歯科医が多いからだろう。
こうした本をみると、写真を使って丁寧に説明しており、何となくわかった気がするようになっている。ところがここに落とし穴があり、見て理解することとやってみることの間には途方もない大きな溝がある。これはいくら本を読んでみてもわからないが、どうも理論が先行する歯科医が多くなった気がする。とくに歯科医—患者関係を考えると、これは情報の非対称性といい、患者には専門的知識はないため、一方的に歯科医の説明を聞くしか方法はない。もし歯科医が知識だけで全く経験していないことを患者に説明したとしても、患者サイドからそれが本当かどうかはわからないし、信じるしかない。矯正の場合で言うと、かなりでこぼこがひどく、近くの歯科医院に行ったとしよう。その先生が先日買った“抜かずになおす矯正治療”という本に同じ様な症例があり、これはこうした治療法で治りますと患者に説明する。あるいは本のかわりに講習会でもよい。先日、受けた講習会で同じような症例をその先生は治していたので、この症例も同じように治せると。
不正咬合治療の専門家は矯正歯科医で、これは目の治療は眼科というのと同じような専門性を持つ。矯正歯科医が見る患者のほぼ80%はマルチブラケット装置による治療で、なおかつ日本では60%が抜歯症例であることを考えると、抜かずに治すことはできないし、マルチブラケット装置なしで治療できないのは自明である。すなわち、マルチブラケット装置による抜歯治療をできなければ、矯正治療をしてはいけないことになる。それ以外の治療法は、例外はあるにしても専門医が採択していない、主要な治療法でない点では、間違った治療法と言える。さらに世界的なグローバルスタンダードという観点からみても、欧米の矯正歯科専門書、講習会でも、“簡単な矯正歯科”、“抜かずに治す矯正歯科”といったものは見かけない。あくまで矯正歯科専門医を対象にしたもので、一般歯科向きのものは少ない。
そのため一般歯科では、矯正専門医に紹介することが一般的で、同様なことはドイツ、イギリス、スウェーデンなどの欧米諸国でもそうである。一方、アジア諸国ではどうかというと、韓国、中国、台湾なども、日本同様に一般歯科医での矯正歯科は盛んである。この理由としては、欧米に比べてアジア諸国では専門医制度が確立、充実していないことが挙げられる。数が少なければ、いきおい一般歯科医で治療をする以外にない。他には、訴訟の違いもあろう。ヨーロッパはしらないが、アメリカでは専門医教育を受けていないドクターが治療して医療ミスがあれば、負けてしまう。ドクターがその治療を行うべき資格と経験を有しているかが論点となり、もし一般歯科医での矯正治療が訴訟されると負けるので、そこまでして治療を行おうと思わない。日本での矯正治療に関する訴訟を調べると、ドクターにキャリアがあったかどうか、専門医であったかどうかは論点にならない。
歯の相談室といったネット上での患者さんが口の悩みを質問するコーナーがある。ネットで質問するくらいなら、歯科医院に行った方が早いと思うが、矯正治療あるいは歯並びの質問に対して、正式な矯正教育を受けたことがない一般歯科の先生が適当に答えている場合がある。患者に対してはともかく、矯正専門医や大学の先生も見る機会のある、こうしたネット上で、平気で名前を出して答える勇気に感心する。
*写真は世界中の矯正歯科学講座の新人教育に使われている標準的な教科書である。矯正治療を学ぶ人はまず読まなくてはいけない基本的な本であることは、多くの大学教官も一致した意見であろう。「プロフィトの現代歯科矯正学」(医歯薬出版)
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