2016年1月26日火曜日

韓国の歴史観 バトル・オーシャン海上決戦

 「バトル・オーシャン海上決戦」という勇ましいタイトルの韓国映画をレンタルで見た。豊臣秀吉の慶長の役、鳴梁海戦(1597)を扱った映画で、韓国では最も知られた英雄、李舜臣の活躍を描いている。韓国では2014年に公開され、興行収入、観客数の歴代新記録を樹立した。

 内容は、相変わらず嘘まみれであるが、韓国民からすればすべて100%真実と信じているから怖い。映画でもたった一隻の李舜臣率いる船に日本の船が何十隻も襲いかかるが、すべて撃退してしまう。まるでランボーのような活躍であり、冷静に見るとこんなことはありえないことはわかりそうだが、歴史教科書、歴史本、マスコミもすべて真実と紹介している。そのため韓国民にすれば、ギリシャのサラミスの海戦、ハワード提督が指揮したカレー沖の海戦、ネルソン提督が指揮したトラフォルガー海戦と李舜臣が指揮した閑山島海戦を世界の四大海戦とし、さらに世界四大提督としてジョン・ポール・ジョーンズ、ホーレイショ・ネルソン、テミストクレス、そして李舜臣を挙げている。当然ながら日本海海戦、東郷平八郎の名は一切出てこない。

 歴史というのは怖いもので、主題の取り上げられ方により、解釈は全く変わってくる。日本人は何かにつけ、韓国人の嘘を批判するが、戦前の日本の皇国史観、あるいはつい最近まで幅をきかせていた唯物史観などは、相当おかしなことを言っていた。さらに司馬遼太郎史観という人気の歴史史観もあり、坂本龍馬など一部の人物が過剰に評価されたりしている。

 こうした見方をすれば、正しい歴史、客観的な歴史はどこにあるのかと思われ、むしろ時代や国によって容易に変わるものと考えてもよさそうである。日本の暴行、虐殺事件は、何も支那事変、大東亜戦争だけでなく、その前の戊辰戦争の政府軍による会津での虐殺、強姦、あるいは会津藩による越後での暴行、函館戦争における弘前藩の病院襲撃、日清戦争の旅順虐殺などがあるが、正史からは除外されている。

 歴史学者が、一次、二次資料とするインタビューや日記を調べるとかなりやばい事柄が判明することがある。こうした事実を論文などで発表するためには、基本的には資料を持つ本人、家族、子孫の承諾を必要とする。多くの場合、不許可となるし、学者の方も資料提供者の名誉になることは記載しても、マイナスの事実は敢えて取り上げない。私のところにも、子孫の方から多くの資料をいただくが、先祖の名誉になることしか取り上げない。子孫に迷惑はかかってはまずいからである。


 例えば現役の安倍晋三首相についても、人により評価は全く違うし、なりより安倍首相本人も、自分はどういった人かはわかりっこない。安保安全法案や韓国、中国への外交政策も、今後の日本の進路によっても評価は変わってくる。現役の人物でそうであるなら、50年、100年、さらに500年前のことなどわかりっこない。大東亜戦争についても、悲惨な戦争体験を語る人は多く、戦争反対、平和が大事と皆は言うが、一方では小声で戦争中も結構楽しかったという人もいる。これは決して少数の人の意見ではなく、わたしの知っている限りの人、例えば満州から悲惨な思いで脱出した人でも、満州時代の楽しい思い出を語る。そうした点では、歴史評価というのは善悪という単純なものではなく、両方からの考え、二面性からの検証が重要であろう。韓国の歴史家の欠点は、中国語、日本語で書かれた本、論文をほとんど読んでいないことであり、このため偏った考えとなっているが、それでは日本の歴史学者がハングルで書かれた本や論文を読んでいるかというとそうでもなく、中国語、ハングル語のそれを十分に読んだ上に、きちんととした論争が必要であろう。現在、韓国で裁判中の「帝国の慰安婦」の著者、朴裕河さんの件は、言論の自由という意味だけでなく、歴史の二面性からの検証という点でも大変深刻な問題である。もしこれが有罪になるなら、韓国人との歴史協議は全く無意味あるから、今後継続する必要はないし、世界に韓国の閉鎖性を主張する根拠となろう(「帝国の慰安婦」はきわめてまっとうな本である)。

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