2016年4月16日土曜日

Appleは終わった?

どちらが新型

 私が始めて買ったコンピューターはAppleLC630で、アップル歴はすでに20年以上になる。それまでは大学ではもっぱらNEC9800シリーズをつかっていただけに、アップルの先進性には驚いた。一方、この会社はコアのファンの存在を信じているのか、大胆な仕様変更を時々行う。最初はそれまで一般的であった端子のSCSIをやめ、USBにしたことである。そのためプリンター、MO、ハードディスク、スキャナーなどが一気につながらなくなった。いきなりである。コンピューター本体だけでなく、周辺機もすべて更新することになった。さらに2006年にはCPUとして使っていたPower PCをインテルに変更したため、それまでのソフトが一切使えなくなった。こうしたユーザーにとって暴挙と呼べるようなことをしてきたが、その結果、新しい環境に変化すると、そのすばらしさに感動し、許してしまう。

 アップルユーザーは、こうした度重なる変更とそれによる混乱に慣れてしまい、性格的にはどちらというマゾ的になってしまった。そのくせ常に新製品の誕生を待ち遠し思っていたし、スティーブ・ジョブスの新製品発表をウキウキして楽しんだ。ところがここ数年、新製品と期待してもがっかりすることが多い。

 最近、新しいiPhonSEがでたというので、早速41日に近くの家電屋に行って見てきた。ところがこの新型は、私が持っている古いiPhone5と外観はほとんど変わらない。定員さんと一緒に2つの機種を見比べたが、ほとんど同じである。これでは3年前のIPhoneの改良型でしかない。いくら性能は良くなっているとしても、あまりに発想が貧弱である。それを考えると、スティーブ・ジョブスが生きていた時に開発されたIMacMacBook AiriPhoneIPadから基本的な進歩はない。例えばIMac、ことに三代目のG4と四代目のG5は、モニターと本体が一緒になった点で画期的な製品であり、その登場には驚いたし、現在、最も売れているMacBook Airも価格の点を除けばその薄さに感動した。IPhoneIPadは製品そのものがこれまでにない範疇のもので、社会自体を変えた。スティーブ.ジョブ亡き後のアップルは、その遺産だけで生き残っているようなもので、革新的な変革はない。

 ある人がいうには、コンピューター自体が成熟産業となり、かってのような大きなブレークスルーはない。確かに昔は1年ごとのハードの性能が数倍となり、3年前のコンピューターが陳腐化する時代があったが、そうした大きな変化は今ない。それでもIPhone5と同じ外観のものを3年後に出すという発想はスティーブ・ジョブであれば激怒したであろう。もっとかっこよく、使いやすいものでなければ、製品化しなかったであろうし、外観が同じで、性能面を上げれば、買い替え需要を狙えるという安易な経営的な判断を嫌った。

 アップルは従業員数11万人、売り上げは23兆円を越す巨大企業であるが、ある意味、それだけの人と金があってもジョブス一人の発想にかなわないのである。ジョブスほど会社の製品に精通している自分の会社の中でもおらず、発表会では完璧に操作していた。それは当然で、その細部にまでジョブスの意思が込められていた。音楽プレーヤーで有名なIPodは発売当初から音量が大きいと言われていたが、この原因はジョブス自身、耳が少し遠く、聞き取れるように音が大きくした。こうしたわがままは現在のアップル社では一笑にふされるであろう。製品にこうした個人の想いが反映していたからこそ、アップルは面白かったが、ジョブス亡き後、こうしたウキウキ感はなくなり、つまらなくなった。

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