2016年4月3日日曜日

阿部ハナ 写真

マイアミ大学所蔵写真

コピー(阿部ハナ像)

オリジナル(阿部ハナ像,1911)

阿部ハナ



 数年前に“1220の青春”(講談社文庫)の著者、川井龍介さんから、フロリダに住んでいた女医、須藤カクという人物を知らないかという一通のメールが送られてきた。父の名は“Tsuidi Sudo”、青森県の出身ということだった。それまで川井さんと私の接点は全くなく、私のブログを見て、連絡いただいた。その後、図書館で”須藤勝五郎の生涯弘前藩士の信仰の軌跡 安済丸船将“(佐藤幸一著)という本を発見し、そこに須藤カクの前半生、弘前にいた時期とその父親、叔父のことが判明した。これで追跡はお終いかと思ったが、インターネットを駆使して調べると、海外の検索サイトに”Kaku Sudo”のことが見つかり、さらにアメリカの新聞のデータベースを丹念に調べると、シンシナティー女子医科大学に留学したこと、医者になり横浜根岸病院で働いたこと、さらにアメリカに帰り、恩師のケルシー女史の故郷のニューヨーク州のカムデンの農園で住んだこと、その後、フロリダに移り、100歳を越え、天命を全うしたことなどがわかった。ただ須藤カク、阿部ハナの写真はなく、唯一、二人のイラストがCincinnati Enquirer紙に載っていた。さらに注意深くインターネットで調べると、晩年の須藤カクの写真、あるいは1911年に亡くなった阿部ハナの死亡記事と写真がUtica NY Saturday Grove(1911.2.21の記事)が見つかった。ただ阿部の写真は不鮮明で全く判別ができない。

 そうこうしているうちに1年程前に、マイアミ大学のWestern college memorial archivesに新聞記事の原本となる写真を発見した。鮮明な画像で、黒い着物を着て立っている女性と、白い着物を着て座っている女性が写っている。須藤カクの晩年の写真(100)と比べると、写真の右の人物が須藤、左の人物が阿部と思われたが、写真のタイトルはDr’s Sudo-Abeとなっており、言葉の順番からすれば左が須藤で、右が阿部となる。

 どちらが正しいかを確認するには、Utica NY Saturday Groveの原本を見る必要があると考え、思い切って、ニューヨーク州のまず、Camdenの小さな図書館にメールしたが、返事がないまま過ぎた。その後、Oneida郡の郡庁所在地のユーティカの図書館にこちらの調査資料も含めたメールをしたところ、調べますとの返事をいただいた。半年以上待っていたが、先日、ようやくUticaの市立図書館からメールが来た。ご協力いただいた図書館員の方々には感謝している。原本はこれまでインターネット上の像より遥かに鮮明で、眼鏡をかけた女性の像が見られる。この資料により、マイアミ大学の写真の左の人物が阿部ハナということが判明した。40歳くらいで結核のために亡くなっているので、若い頃に比べると痩せているが、同一人物である。インターネットの恩恵を受けてようやく、阿部ハナと須藤カクの姿がはっきりとした。個人的には大変うれしく思う。まだまだ阿部ハナの日本での家族、出生地などはっきりしないが、全体像は少しずつ解明している。

0 件のコメント: