3年前に、新規の歯科用ユニットの設置、空調の新調、そして受付と待ち合い室を改装したが、トイレについては壁、床、天井の張り替えだけで終わった。家内の意見では、ウォシュレット式のトイレは病院ではかえって使いにくいということだった。それでもトイレはある意味、患者にとっては最も目につくところで、医院全体のイメージアップに繋がると考え、思い切って今回、全面的に改装した。
イナックスのサティスというタンクレストイレで、自動清掃、節水にもつながる最新の機種を選んだ。診療所は3階にあるため、水圧がどうかと心配したが、水圧を上げるポンプを併用することで解消できるとのことだった。
3日間の講習会での出張の合間に工事をしてもらった。それまでのトイレは冬場、温度差から結露も多く発生したので、壁面に断熱材を補強し、すべて変更してもらった。また冬場のトイレの暖房も気になっていた。
講習会から帰って、早速、きれいになったトイレを見ると、全く別物となり、感激した。トイレに入ると、自動的にふたが開き、音楽が流れ、終わると勝手に水を流し、清掃してくれる。すべて自動化されたトイレである。さらにトイレの後部から温風がでるため、室内も全く寒くなく、快適である。手洗いも以前は場所が狭いため、手洗いボールも小さく、使いにくかったが、これも改善できた。
患者さんからも、便所がきれいになりましたねと言われることが多く、矯正歯科のように通院回数の多い場所では、患者もこうした変化をよく見ているようである。
私が最初にウォシュレットに出会ったのは、1982年ころで、大船の友人宅で始めて利用した。ウォシュレットの出始めのころで、尻を洗われる経験は衝撃的であった。その後、17年前に自宅を新築にした時もウォシュレットトイレにしたが、こうした便利なものに慣れてしまうと、どうもお尻を洗わないでは何だか気持ちが悪く、たまに昔の便所でする場合は、とりあえず出すものは出して、トイレットペーで拭いた後に、別のウォシュレットのあるトイレに入らなければ気がすまなくなる。とくに痔になんかなると、ウィシュレットの威力はすごい。
トイレ、男の人にとっては、便をするのは一日に一回なので、その瞬間のためだけに、これだけの機能をもつ設備を備えるのは、普通に考えればすごい贅沢なことであるし、そのための電気料もばかにならない。合理的に考えればトイレにここまで機能をつけるのは、全くナンセンスで外国人からすればクレージーと言われよう。それでもより快適に、工夫を凝らす日本人的な努力が今日のトイレの進化に繋がった。最近では日本への観光でやってきた外国人にもその便利さと快適さが評判となり、海外でもウォシュレットトイレの人気は高い。
シャープ、東芝など日本の家電も業績が悪化し、やがてほとんどの日本製家電は海外資本の吸収されていくのであろうが、こうした日本的な変態的な製品がでないかと思うと淋しい。一方、自動ロボット掃除機がルンバやI-phoneが日本企業ではなく、アメリカ企業であったことは残念である。最近のアップルの新製品をみても全く新鮮味を感じないのは革命的な発想の欠如で、あれだけ大きな企業でも、発想はスティーブ・ジョブス、ただ一人に頼っていた(ちなみにジョブスが生きていたらiPhone5と外見は全く同じのiPhoneSEの販売は絶対になかった)。技術の進歩は製品開発の困難さより、奇抜な発想であり、発想があれば技術は次第についてくる。そうした意味でも、主として医療用だった温水洗浄便座を家庭用に使おうとしたTOTOの発想はすばらしい。
トイレというと「世界のしゃがみ方 和式/洋式トイレの謎を探る」(ヨコタ村上孝之、平凡社新書、2015)というおもしろい本がある、世界各国のトイレを調べた本であるが、西洋人、ことに女性は公衆トイレに腰掛けて用を足すのかと問うている。これについては以前、飲み屋のロシア人ダンサーから聞いたことがあるが、日本のようなきれいな公衆トイレは外国にはほとんどなく、便座もものすごく汚い。そのため外出先で用を足す時には中腰で座らず、用を足すということだった(大も小も)。昔の農家の婦人は立ちションをしたというが、これを現代日本女性に求めるには難しいが、これから世界に羽ばたく日本人は便利できれいなウォシュレットに慣れすぎないように注意し、立ちション(大)技術を修得しなくてはいけないのかもしれない。
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