娘が今度、結婚するのだが、最近の結婚は昔とは様変わりしているので、びっくりしている。
1.
結納がない
昔は、新郎側の両親(あるいは父、または母親)が新婦側の家に行って、水引と一緒に結納金を納め、さらに婚約指輪なども贈る。そして新婦の家族、親類も正装して迎え、お返しをし、会食をして終了となる。うちの場合も父が歯医者で仕事を休めないので、母親が尼崎から弘前の家内の家に行って、結納の儀式をした。終わると大鰐温泉に泊まり、そこからタクシーに載って竜飛まで行ってしまった。
姉の場合でいうと、結婚が決まると、嫁入り支度として、まず京都の西陣の着物屋を家に呼び、訪問着、無地着物、留袖、喪服など数種類の着物を作る。兄や私の場合では、当時、結婚指輪は給料の3か月分と言われていたので、数十万円のダイヤの指輪を買いにいく。さらに新居(アパート)を買うあるいは借りる。その後、結納金により新婦側が家具、電化製品など新生活に必要なものを買った。ところが現在では、結納あるいは結納金そのものがなくなり、ダイヤの結婚指輪などは買わないし、結婚家具。電化製品も買わない。さすがに部屋が二人が住むには狭い場合は、転居するがそうでなかったら、どちらかのアパートに住むし、特に新たな家具、電化製品も買わない。
2.
仲人がいない、父親の友人が呼ばれない
昔の結婚式と言えば、式が決まれば、仲人を誰にするかが両家で話し合う。新郎の場合、誰に仲人するかにより、会社でも引きが違ってくるため、これは重要なこととなる。基本的には新郎の勤める会社の部長、重役、社長レベルの人に仲人をしてもらう。さらに出席者の大半は新郎、新婦の会社関係と親の友人となる。弘前の場合で言えば、親が商工会議所やロータリークラブのメンバーであれば、それだけで100人以上と招待者となる。300人規模の結婚式で言えば、新郎、新婦の親類が50人くらい、友人が50人くらい、そして新郎、新婦の知人、会社関係の人が200人程度なる。結婚式費用はすべて両親持ちとなり、新郎新婦の負担はないかわりに、親が結婚式を席次から内容まで決めてしまう。
ところが今の結婚式で多いのは、親類と少数の友人のみを招待した50人以下の式で、有名ホテルになると土曜、日用になると十数組の挙式が行われる。また両家の親類とあとは新郎、新婦の会社、友人関係のみ出席、100-150人程度の式で、両家の父親の友人、会社関係は全く呼ばない。こうした場合は、父親、母親と本当に親しい関係であっても結婚式に呼ばれることはなく、私の場合も昔だったら年に数組の結婚式にでていたが、最近が葬式に出る回数は増えたが、結婚式に出る機会は減った。
3.
礼服は着ない。
昔の結婚式と言えば、父親はモーニングコート、母親は留袖、親類の男性は黒のダブルの礼服、女性は留袖と決まっており、出席者もほぼ皆、これと同じ格好であった。ところが最近の結婚式に行くと、父親のモーニングは変わらないが、母親は洋装のドレスが多く、親類も同様、新郎新婦の友人は、男性が普通のブラックスーツ、女性も洋装のパーティー服がほとんどである。よほどの年配でないと礼服は着ないようである。ある意味、かなりドレスダウンであり、娘が結婚する会場の写真を見させてもらうとアロハシャツやシャツもoutに出している人もいる。
4.
披露宴で余興が少ない
出席者の負担を減らすためか、昔に比べて余興は少ない。田舎の結婚式では最後は親類縁者のカラオケ大会になり面白かったが、最近は友人のビデオメッセージや新郎、新婦のプロフィールビデオなど映像が多く、人間味がなく面白くない。その割に、両親への感謝の手紙などお涙頂戴演出があり、くだらない。小津安二郎の“麦秋”ではないが、親への感謝は人のいないところでしてほしい。
5.
新婚旅行、婚姻届
昔は結婚式に続いて、別府、宮崎、ハワイなの新婚旅行に向かった。そして帰国後、しばらくしてから婚姻届をした。ところが今では結婚式の前にいい日を選んで婚姻届をするカップルも多いし、新婚旅行も式に続いて行くことはない。結婚式をして初めて結ばれるカップルも昔は多く、新婚旅行で相手との相性は悪いと“成田離婚”という言葉があったが、この段階では婚姻届もしていないので、離婚にはならない。
これは姪、甥などの結婚式、披露宴にでた私にあくまで私見であり、地域によっては昔の結婚に近いところもあろうが、それでも確実に言えるのは、昔の結婚式は家同士の式であったが、最近の結婚式はあくまで個人の式である。さらには結婚式そのものもやめていまい、婚姻届だけというカップルも増えている。旦那が給料を稼ぎ、嫁は家と子供の面倒を見るという古い概念はほぼ消滅しており、男女、それぞれが稼ぎ、両方により家事、育児を分担するという流れが定着しており、それに伴い結婚式もどんどん変わっている。
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