日本人は英語が苦手で、これからの国際化のためにと、小学校から英語を学ぶようになってきた。2020年度から予定されている小学校英語教育では、まず小学3、4年から年間35単位時間、簡単な英会話を学び、さらに小学5、6年生からは年間で70単位時間、単語数で言えば600-700語にふれる。現在、中学で扱う単語が1200くらいなので、かなり単語数を小学校からふれることになる。そして教科となるため、通知簿として評価されることになる。ただ英語教育の専門家によれば、こうした英語教育の早期化に否定的な意見が多い。まず普通に考えるなら、小学校で英語を習うなら、中学校と連携しなくてはいけないが、両者の話し合いはない。小学校、中学校でそれぞれ勝手に英語教育を行う。小学校で700語の単語を学ぶのであれば、当たり前だが中学の最初の授業でABCを教えることはないはずだが、どうやらABCから教えるようだ。
根本的な意見としては、すべての日本人が将来的に英語をしゃべる必要はないのに、どうして小中高校の10年間、大学まで入れれば14年間も英語を学ぶ必要があるのか。一生、外国人と話す機会がない人も多く、それなのに莫大な時間をそうしたことに費やす価値があるのか。逆に本当に仕事のために英語が必要なら、その時点から学んでも充分だ。太平洋戦争中のアメリカ海軍の日本語修得プログラムは毎日4時間の日本語のレッスンを1年間行うものであった。これだけ短時間でもある程度の日本語が修得できる。当然、英語を学ぶのはもっと早いはずだ。
また教育内容についても、過去の日本の英語教育、主として読み書きの教育を改め、会話を重視したものとなっている。英語ができるというとアメリカ人のように流暢な会話をしゃべる人を思い浮かべるが、話に内容のない人はいくら流暢な会話ができても学校に入られないし、仕事もない。逆に会話がたどたどしくても、聞くこと、書くこと、そして一番重要なことは読むことができれば、大学など高等教育も受けられし、仕事もできる。こうしたことは“英会話だけでは無理!米国留学、外資系勤務で一番重要なことは?”(黒坂岳央、https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180905-00010009-agora-bus_all&p=1)や同じ著者による“帰国子女=英語力上級者ではありません”(http://agora-web.jp/archives/2034498-2.html)でも強調され、本当の国際的人物になるためには、何より本を読み、語彙力、読解力を高めること、そして英語の本、論文、ネットなどを大量に読み、理解し、話せることが重要としている。
おそらくは後十年もすれば、英語翻訳機がかなり発達し、日常の会話はこれで充分となる。英文翻訳も早く、正確になっていくが、その前提として日本語の会話がきちんとでき、日本語の文をきちんと理解できる能力が必要である。いくら翻訳機がよくなっても、訳された日本語文が理解できないのでは話にならないし、話の内容がなければ、それを英語に翻訳しても内容はない。これらを考えると、私も日本語の読書と作文こそが、初等教育では一番大事だと考える。それができてから、外国語を学んでも遅くない。日本語の本を読み、自分の考えを正確な日本語でしゃべり、そして文にできること、これが日本人として最低、義務教育で修得するものと考える。そうした点では、フランスの試験は、こうした考えに沿ったもので、有名なバカロニア試験、哲学試験の例でみれば、白紙に、「働くことで何を得るのか」、「あらゆる信仰は理性に対立するのか」の問いの答えを書く。アメリカでも論述式の試験は多く、面接による口頭試問も重視される。国際化を目指すなら、小学校から英語を習わすのではなく、議論、論述式試験を重視するような教育を進めることだと思う。
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