2018年10月8日月曜日

江戸時代の弘前の道 その1

南横町付近、赤字:江戸時代の道幅、黒字:現在の道幅、 赤色:拡大した道
弘前旧市内、赤字:江戸時代の道幅、黒字:現在の道幅、青色:拡大した道

 江戸時代の道はどんなだったのだろうか。もちろん車もなく、道を行き交うのは馬車、大八車と歩行者だけである。舗装もされていない。江戸のような大都市なら、人口も多く、行き交う人も多いため、繁華街では大きな道で、道幅も広かったであろう。ちなみに江戸では明暦の大火後、避難路と延焼を防ぐ為に、日本橋通りと通町筋が10間(18m)、本町通りで7間(13m)、ほかの道は5から6間(9から11m)と定められた。江戸時代、弘前の人口は3万人ほどで、東北では仙台に続く、人口の多い町であったが、それでも地方都市であった。こうした地方都市の道の詳細については、これまであまり知られていない

 今年、弘前図書館の古典書籍、絵図の一部がデジタル化されて公開された。その中でも個人的に最も興味が引かれたのは、「弘前大絵図」(岩見文庫)である。寛政12年(1800)とされ、弘前の町の15枚分間絵図となっている。士族だけでなく、町民も含めて全戸主名と家の敷地(幅、奥行き)が記載されていて、大変重要な絵図である。この絵図には、ところどころ道幅も書かれている。弘前は空襲に会わず、ほぼ江戸時代の町並みが残っているため、1800年ころと現在の道を比較できる。
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11F0/WJJS07U/0220205100/0220205100200010/mp000085

1.      比較方法
 弘前の近所の道幅を示したのが図1である。赤線は「弘前大絵図」に載る道幅である。すべて間、尺表示なので、四間三尺については4.3と表示した。一間はおよそ1.8m、一尺は0.3mなので4.31.8m×40.3m×3=8.1mとなる。同じ道でも数カ所に表示がある場合は代表的な幅を、また差が大きい場合は〜表示とした。 現在の道幅(黒線)については、大まかではあるが、Googleマップの最大拡大から調べた。最大拡大では画面上の5m17mmで、1mm0.294mとなる。家の前の道をGoogle マップで測ると30mm、すなわち8.82mとなる。実測すると側溝から側溝まで測った約8mなので、少し広く計算される。
 そこで家の前の道を「弘前大絵図」でみると、4間3尺、8.1mとなっていて、今の道幅とほぼ一致する。他には南柳町の道幅は4間、7.2mで、Google マップでは6mでやや狭い、同様に徳田町の道幅は5間、9mだがマップでは6.3mと狭い。弘前郵便局前の道と中央通りの道は戦後、拡張された道なので当然、広い。土手町から城東に抜ける道は絵図では5間、9mだが、現在は38mの大きな道となっており、駅から城へ向かう中央通りは絵図では4(7.2m)の狭い道だったが、今では23mの大きな道となっている(赤色で塗った道)。当たり前だが、都市計画で明らかに拡張した道幅は江戸時代より広くなっている。一方、近所の道をみても、驚くほど江戸時代と道幅が変化していない(青色で塗った道)。もともと道幅が4から6間と広く、自動車時代になっても充分に対応できたためかもしれない。現代人の感覚でみても、広い道のように思える。おそらく人、馬の往来だけならこれほど広い道は必要ないが、屋根から落ちた雪の除雪のため、あるいは火事の延焼を防ぐために道幅が広くなったのだろう。

2.      弘前旧市内の比較

 弘前の旧市内について、「弘前大絵図」(1800)から、道幅を調べ、図2に示した。弘前城周りの道幅は7間(12.8m)とかなり広く、ほぼ現在の道幅と同じである。さらに誓願寺に向かう道も6間3尺、11.7mと広い。この図に書かなかったが、他には禅林街の長勝寺に向かう道は7間から9間3尺(12.6m17.1m)と非常に広い。今でも禅林街の道は広く感じるが、この感覚は江戸時代でも同じであった。他の道は概して、4間から6間(7.2m〜10.8m)くらいであり、最小は鷹匠町小路の23尺(4.5m)となる。
 細かくは調べていないが、全体をみても、明らかな戦後の都市計画で道が拡張されたところ以外は江戸時代の道幅のままである(青色で塗ったのは明らかに広くなった道)。他には和徳通りはもともと6間10.8mの広い道であったが、昭和初期の火事をきっかけに両脇の家々がセットバックした。今は16mの道幅となる。ただ歩道も含めた道幅なので、実質的には両側の歩道分は広くなっただけである。また弘前大学医学部附属病院前の道も、江戸時代は42尺、7.8mの道であったが、今は11mの道となっている。ここも明治時代の大火で道を拡張したのであろう。他には弘前城から茂森に行く道も53尺、9.9mから15.9mに拡大されたが、これはごく最近工事が終わったばかりである。道沿いにある酒屋は、この道路拡張で、建物ごと後ろに移動する大工事であった。空襲や火事がなければ、道路の拡張は非常に難しい。私の診療所のある代官町も5間、9mの道から新しい道は19.6mに広がっている。ところが診療所の前の道から土手町の道は古い道のままで、歩道をいれても未だ12mくらいである。車道そのものは7.6mで、50年前以上から歩行者の多い道なので歩道を整備しようとしているが、周囲の店がセットアップに協力しないので、未だに拡張できない。
 こうしてみると、弘前は江戸時代の道が残っているばかりか、道幅のセットバックの難しさから、歩道が少し整備されたくらいで、ほとんどの道が昔のままの大きさであることがわかる。


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