2020年7月12日日曜日

倹約的な学校 六甲学院

昭和三年に建てられた三上ビル

水彩専用紙に描くと雲がうまく表現できたが、車の縮尺を間違えた(もっと大きく)

 “イギリス毒舌日記”というイギリス在住の主婦が書いているブログが面白い。その中で、学校の制服のことが書かれている。イギリスの公立学校は基本的に制服制度で、学校指定の名前に入った制服を着るようになっている。ただ貧困で制服を買えない人用に、学校では余った制服を寄付してもらいそれを活用しているようである。

 それで思い出したが、私が通っていた六甲学院でもそれと同じような制度があり、サイズが小さくなったり、卒業していらなくなった制服を学校に寄付する制度があった。もちろん新品の制服は六甲駅近くの指定のお店で買えるだが、ズボンなどはサイズが合わなくなり、ここのお下がりを何度かもらったことがある。校舎一階奥の玄関横に部屋があり、ここに寄贈された制服が置かれている。サイズが合えば記帳してもらう。さらにここには電気バリカンもあり、友人同士で散髪した。中学生の頃はずっと丸坊主で、あまり伸びると校長に注意されるので、節約のためにここで電気バリカンで切ってもらっていた。カットサイズは何段階選べるようになっていて、一枚がり、二枚がり、三枚がりとなっていて、坊主刈りにもオシャレがあって、皆三枚がりを希望する。ただ、三枚がりは均一な長さにするのはなかなか難しく、どうしても凸凹のある虎がりとなる。そのため、その修正していくとだんだん二枚がり、最終的にはほぼ本物の坊主並みの一枚がりとなる。こうなると夏はいいが、冬は寒く、嫌なものである。そこで散髪の才能のある水谷くんの登場となる。彼はどうしたことかバリカンがうまく、綺麗に剃ってくれる。そのため彼に刈ってもらおうと行列になる。

 この学校は、キリスト系のハイカラな雰囲気があるが、その中に軍隊、あるいは修道院調の倹約的な側面を持つ。母体となるイエズス会は別名戦う教会と呼ばれるように軍隊的な性格を有し、さらに創設者の武宮校長が陸軍の予備役少尉であったことも関係する。私が入学する頃(昭和43年)にようやく手提げカバンになったようで、それまでは黒い風呂敷に教科書などを入れていた。中学生だけでなく高校生も丸坊主で、革靴は禁止され、布靴であった。制服も傷まないように、学校に行くとすぐに運動服に着替えた。食堂はなく、父兄会が当番で学校に来て、パンと牛乳の購入を手伝った。昼食を注文するときは朝、パンの注文用紙に書いて提出して、昼休みにそれを購入する。バザーはかなり大規模で、これも父兄会が中心になり、体育館で開催した。そしてこの売り上げが部活費となり、学校からの補助はほとんどなかった。サッカー部でも、ゴールポストは学校の大工さんヒルケルさんに作ってもらったし、サッカーボールも高校二年、三年生の先輩が修理して使った。さらに学校の備品、机や椅子なども外注すると高いので、すべてヒルケルさんともう一人のドイツ人が作ったし、さらに壁や石垣の修理などはドイツ人の校長自らがしていた。学校の隣には神父のための修道院のような施設があり、ここでの食事や生活は質素そのものであり、学校生活にもそうした雰囲気が移ったようである。

 特に変わっていたのは美術の上沼先生で、この先生の靴というと、普通の布製の運動靴の後ろを切り取りサンダルにしたものであった。多分、古くなった運動靴をサンダルに改造したのだろう。いつもヨレヨレの白いワイシャツと灰色のズボンで全く変わらない。この先生は生徒が絵を書いていると、横から“ここはこうしてこの色を使って描けばより良くなる”と手伝ってくれ、そして“これでいい絵になった”と喜ぶ。私の場合、中学から高校まで絵の成績が90点以下のことはなく、最高は99点で、この時はほとんど上沼先生が描いた絵で、他の生徒も同じような点数であったろう。

 お金持ちの生徒も多かったが、こうした質素を旨とする学校生活にためか、あまりそうしたことがわからない状況であった。同じクラスにボンカレーの創業者の息子がいたが、彼は弁当箱につめた白飯とボンカレーだけを学校に持ってきて、それを暖房用のスティームに入れて昼休みに食べていた。うまそうであったので、すぐに買って真似した。

3 件のコメント:

標葉石介改め砂 さんのコメント...

とても素敵な絵だと思います。車はこのくらいがメインの建物を邪魔しない程度で丁度だと思います。

匿名 さんのコメント...

広瀬院長様

先生も「イギリス毒舌日記」を読んでらっしゃるのですね。
ねこ吉も、大ファンでかなり前から読んでいます。
最近のイギリスの様子、ロンドンとカーライルの格差興味深く読んでいます。

六甲学院の校風素敵ですね。マラソンやトイレ掃除があると聞きましたが・・・。

関西は、東京ほどではありませんが、コロナ感染者が増えつつあります。

                               ねこ吉

広瀬寿秀 さんのコメント...

トレース水彩画は、素人にも簡単にできる方法で、知人も真似してトライしていましたが、それなりのものができて、子供から驚かれたようです。もう少し、いろんな画題にチャレンジします。

イギリス毒舌日記は非常に人気のあるブログで、単行本にもなっていますね。一度、尼崎に帰省したいのですが、弘前にような感染者の出ていないところでは、初めての感染者になると大変なことになります。先日も青森市の眼科医が東京に住む娘に会いに行き、娘から感染しました。青森に帰り、すぐに診療を開始し、また高校の学校検診もしましたが、その後、この先生も感染が判明しました。二日間連続、地元新聞の一面記事。この病院を受診した患者と検診を受けた生徒、全員が感染を疑われました。地元では当分、村はじきとなると思います。新聞では名前が出ていませんが、ツイッターなどで次の日には拡散。これが田舎の怖いところです。今や東京からの観光客は、かっての中国人並みに恐れられています。