2020年7月22日水曜日

ヤフーオークションの闇

落札数が400以上ということは、同一業者からの落札はカウントされないルールを考えると、月に20以上は落札していることになり、通常ありえない。


 10年ほど前からヤフーオークションをよく利用している。主として掛け軸を買うことが多いが、カメラや家具、陶器など様々なものをここで買っている。これまで特に騙されたこともなく、たまには失敗もするが、それはこちらの判断違いであり、出品者のせいではない。ヤフーオークションの特徴は、どんなに安くても、例えば1000円でも落札者が一名しかいないと値段は1000円となることで、競う相手がいないと本当に安い値段で手に入る。私が集めている土屋嶺雪や近藤翠石なども随分安く手に入った。これらはあまり有名でなく、競合者も少ないからであろう。ところがここ1、2年、昔のような極めて安く手に入ることは難しくなってきた。原因はわからないが、以前なら数千円くらいで落札されたものがその数倍でも落札できなくなってきた。理由の一つに、極めて落札数の多い何らかの集団がいるようだ。個人の収集家であれば、いくら骨董好きとはいえ、落札数は300を超えることはない。ところが最近の落札者には4000070000を超える落札者がいる。同じ出品者からの落札は一つに数えられるので、私がよく買う会社のものは10点くらい買っても落札数は1であるので、この70000を超える落札数は異常である。おそらく可能性としてはオークション代行会社のものか、出品者と結託した同業、骨董商のものと思われる。個人の入札者は落札数が少なく容易にわかるので、ネットの骨董商同士が値段をつりあげることことも可能である。昔は入札者の過去の落札品もわかったので、その傾向がわかったし、500を超える落札数はなかったが、落札者の情報が表示されなくなると同時にこうした怪しげな入札者が増えてきた。あるいは日本のヤフーオークションは海外からの参加は基本的には認めていないが、中国の代行会社から落札が増えたせいかもしれない。というのは日本の古い西洋画についてはあまり落札数の多い入札者は少ないが、中国もの、日本の掛け軸ではこうした入札者が増える。先日の伊藤若冲とされる掛け軸では、20人が落札に参加したが、このうち落札数が400を超える者は9人で、最高は76646であった。入札額が80000円まではいいのだが、そこから400以上落札数の入札者が三人200000円まで値を上げ最後は落札数74の個人が206000円で落札した。以前であれば、こうした場合も個人の入札者だけの競合であったので100000円以上になることはなかったし、この絵に関すれば230000円くらいであろう。こうしたこともあり、最近はヤフーオークションもプロがアマチュア個人を騙すようなところに見えてきて嫌いになってきた。

 話が変わるが、以前から調べている“謎の芳園”について少し新しい情報が入った。大英博物館やシンシナティー美術館にある“芳園輝”の署名のある西山芳園とされるコレクションの多くは、画風やサイン、印鑑より西山芳園でなく、別の芳園であることがわかったが、それでは誰かというと、はっきりしない。可能性としては江戸後期から明治にかけて作品を残して“香川芳園”という人物がいる。この人物、ひどい作品も多く、果たして香川芳園が“芳園輝”かはっきりしない。ところが最近、イタリア、ヴェネチアの東洋美術館が所蔵する3つの“芳園”署名のある作品について同館のSilvia Vescoさんが解説し、謎の芳園について論文にしている。結論ははっきししないが、私のブログも参考文献として引用してくれている。もう一つはボストンの美術商、松木文恭の日本美術のカタログ(1898)に”Kagawa Hoyen”の名が出てくる。ここでは”Kagawa Hoyen was born in Kiotoin,1820. He was to have inherited the title of Baron from his father, Baron Kagawa, but the artistic instinct in him was so strong that he renounced his heritage and became a painter. He studied first with the famous Shibukawa Bunrin and later with celebrated Giokuho. He was been the instructor of painting in the Kioto Art School for more than fifteen years. He work is highly regarded by modern painters.”となっている。Baron Kagawaに該当する人物として香川敬三男爵がいるが年齢が違う。また香川芳園の生年月日は天保113月(1840)で、これも20歳も違う。塩川文鱗(1808-1877)は幕末、京都を代表する絵師だが、Giokuhoは四条派の長谷川玉峰のことと思われるが、1822年生まれで、香川芳園より若く、師匠としてはふさわしくなく、むしろ“輝”の名を持つ望月玉川(1794-1852)の方がふさわしい。他の文献では香川芳園の師は、最初は望月玉川、その後は岸岱に学んだとされている。香川芳園は、海外向けの美術品カタログに取り上げられているように外国人に人気のある画家で、海外の美術館にある作品には芳園輝“の署名があるが、これは海外向け作品に使用された署名、落款なのかもしれない。ただ日本では画題が陳腐で、また号の同じ西山芳園と混同されることも多く、日本の美術館に収蔵されている作品はない。不思議な作家である。

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