2020年8月7日金曜日

ナヌカビ 弘前ねぷた





 青森ネブタ、弘前ネプタとも重要な日は、最終日のナヌカビで、元々は旧暦の七月七日、新暦でいうと今年は八月二十五日であるが、祭りの一環として八月七日がナヌカビとされ、この日は町内を昼間、回り、金銭をねだったり、扮装などをして騒ぎ、最後は、川あるいは海にネブタ、ネプタを流す。実際は水で本体から紙を剥がし取るのであるが、近年は川の汚染のためにこうした川、海での剥がし取りは禁止されている。

 「弘前ではナルカビにはねぶたの最後の日であり、ねぷた流しといって朝早くからねぷたを出し、岩木川に持って行って流した。流すと言っても、実際にはねぷたを水につけて紙を剥がし取ったのである。」(弘前ねぷた本)「ねぷたとは眠り流しなどの水に睡魔や悪いものを流してやる禊としての要素、中国伝来の乞巧奠や二星伝説の星祭りの要素、そして同時期の盆灯籠や迎え火、送り火などの灯火を用いる盆行事の要素が習合したもの」というのは松木明知先生の見解である。また子供達は「ナヌカビは集落全体が仕事休みで、ねぷたは朝早くから鼻白つけて練り歩き、「ねぷた流し」と言って川の深い所にねぷたを沈め、紙を剥がして骨の一部を解体した。その後、「七回ママ食べて、七回水浴びする」と言った。」(弘前ねぷた本)。祭りが終われば、厄災ごと水に流して清めるのである。

 日本人の民俗信仰とも言える神道では、禊という概念が重要で、祝詞にも「祓戸の大神等 諸々の曲事罪穢を 祓ひたまえ清め給へと申す事の由をーー」とあり、神社に入る前に、手水舎で清めることはよく知られている。こうした要素は確実にネブタ、ネプタにもあり、基本的には祭りに用いられたものは、祭りが終わると焼かれたり、壊されたりして、一年毎のものであり、それが再生という祭りの根本的な意義であった。それ故、過去のねぶた師の作品がほとんど現在に残っていないのは、当たり前にことで、いくら手間をかけ、名人の作品でも祭りが終われば、躊躇なく壊された。

 五所川原の大型ねぷたも、最初の年、平成十年の作品は、古式に則り、最後は火が放たれ、完全に昇天させた。ところが、その後は、製作されたねぷたは立佞武多の館に保管され、次の年の祭りにも使われるようになった。また今年の青森ねぶたはコロナウイルスのために中止となり、代わりにワラッセにあるねぶたをナヌカビに外に出し、市民と楽しもうということになった。

 確かに全国からの観光客にとって、立佞武多の館やワラッセのような観光設備があり、年中、そこで実際のねぶた、ねぷたを楽しめることはいいだろう。ただこれはあくまで観光目的の例外であり、日本の禊の概念からすれば、祭りに使われたねぶた、ねぷたは一回限りのもので、そうすることで、初めて厄災、邪悪退散の意味がある。数年前、弘前ねぷた参加団体協議会の参加団体が、「“よさこい津軽”によって汚れた土手町を清める」という発言をし、他の参加者からの暗黙の賛同があったという(よさこい津軽の関係者、ごめんなさい)。またねぷたは一回限りであるから、潔く、意味がある、と考える人も多い。昔、神奈川歯科大学の学園祭があり、青森出身の学生が、ねぷたを出そう、できれば棟方志功にねぷた絵を描いてもらおうと画伯に頼むと、快諾し、絵を描いてくれたという。ただ学生たちはもったいないといえ、ねぷたは燃やすか川に捨てるかすると思っていたので、学園祭が終わると盛大に燃やしたという。私が最初に弘前に来た時も、ねぷた絵を祭りが終わったら切り取って、くれないかというと、ねぷたは祭りが終了次第、綺麗さっぱりと捨てるので、あげられないと言われたことを思い出す。

 診療所の前に金魚ねぷたを81日より飾っているが、夜はやっぱり光ってほしい。そこで百円ショップで電池式のランタンを買い、それを内部に吊り下げることにした。単四電池3本で14時間だが、充電式乾電池にして、昼間充電、夜照明することにした。825日まで飾り、水で紙を剥ぎ取ることにする。

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