2021年1月1日金曜日

左翼、新聞による中国報道

勇気ある名著である


 中国共産党の酷さと官僚主義の恐怖をはっきりする事例は、毛沢東が行なった大躍進の時代のエピソードである。これは農工業の生産にノルマをつけて西洋諸国に追いつこうとする毛沢東の政策によるもので、1958年から1961年に行われた。とりわけ農業への被害はひどく、この政策により2000-7000万人とされる信じられない死亡者、主として餓死者を生んだ。おそらく歴史上でもこれほど多くの犠牲者がでた事例はない。

 

 最初に、1956年の68日に河南遂平衛星公社で、1ムー平均で1007.5キロの小麦の収穫があったと言うニュースが流れた。その後、次々に記録更新がなされ、630日には2551キロ、95日には広東北部山連県で30218キロの収穫があったと報告され、毛沢東を喜ばせた。もちろん全てホラであり、中央政府のご機嫌をとるために、地方の役人がでっちあげた数字である。食料過剰を信じた毛沢東はそれを輸出に回した。政府だけでなく、研究機関も、この食料高生産を信じたが、実態はむしろ不作であり、農民は飢えていた。ところが中央に高生産を報告した手前、役人は、農家を徹底的に捜索して、全ての食料を奪っていった。その結果、各地で人肉を食う事件が発生し、信じられないほどの餓死者が発生した。

 

 それでも、こうした惨事に立ち上がる義人がいたことも記す。ある生産隊長は、自分の判断で食物を村人に配り、餓死しないようにしたが、逮捕され、五年の懲役を受け、また別の生産隊長は村の惨事にいたたまれず、倉庫にある食料を調達して、村人に配ったところ、悪質分子として逮捕され、死亡した。逆に公安には、逮捕者数のノルマが課され、遂には逮捕コンクールが実施された。他にも多くの中国人がこうした惨状に立ち上がったが、次々と逮捕され、死んでいった。

 

 問題は、当時の朝日新聞はじめほとんどのマスコミと現代中国学者は、中国の大躍進政策を絶賛していた。唯一、人民公社の問題点を指摘したのは中国史学者の小竹文夫と我が弘前出身の佐藤慎一郎しかいなかったのは、小竹は東亜同文書院を卒業して長らく中国で生活していたこと、佐藤も中国で暮らし、直接中国人からインタビューして、こうした事実を知ったのだろう。隣国で5000万人が飢餓で亡くなっても、ほとんどのマスコミ、学者が逆に絶賛していたと言う恥ずかしい事実は、これまでまったく反省されておらず、ようやく2020年に京都大学の村上衛によって“大躍進と日本人「知中派」—論壇に置ける訪中者、中国研究者”で触れられている。かなり勇気のある論文で、先輩の著名な中国研究者のことを批判するだけでなく、こうした論文は中国政府から睨まれ、研究のための中国入国を断られることもあろう。高校の時に、好きで著書の多くを読んだ中国学者の竹内好も、毛沢東、文化大革命を絶賛し、後日、毛沢東の大躍進の失敗、文化大革命の悲劇を知るにつれ、当時のほとんどの左翼、現代中国学者は中国の御用聞き学者と判明した。彼らが常に批判続けた戦前の軍部御用聞き学者よりひどい。なぜなら中国は外国であり、彼らは中国を批判する自由があったのだから。

 

 そして遂に大躍進から2020年で、60年経つた。当時を知る中国人は高齢で、少数となり、その間、中国で2000万人以上、餓死した事実をマスコミから完全に封じ込め、その事実を消滅するのにほぼ成功した。よく考えれば、2000万人以上の餓死者を出した歴史を完全に抹殺することができたのは、すごい。ユダヤ人のホロコーストの犠牲者は1000万人程度であり、これをはるかに上回る餓死者を出した歴史を隠せるのであれば、文化大革命も消せるし、ほとんどの負の歴史は簡単に消し去る。

 

 中国共産党官僚主義の怖さは、楊継縄著“毛沢東 大躍進秘録”に見事に描かれており、日本共産党、左翼学者はこの本をきちんと理解し、なぜ当時の党、学者が、隣国の歴史上最大の人為的失敗について黙っていたどころか、逆に絶賛していた事実について、藤田省三の転向の思想史研究と同じレベルで評価してほしい。もちろん彼らは、日本軍の南京虐殺を信じても、大躍進で2000万人以上がなくなったとは信じないし、この“大躍進秘録”も嘘っぱち本として片づけるであろう。ただ中国では香港人のみ、この本を読んでおり、彼らは信じ、戦っている。その実感はリアルである。



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