森町の忍者屋敷? |
現在、新しい本、” 弘前歴史街歩き あの場所。あの人、あの時代“(仮題)を出そうと執筆中である。すでに9万字くらい書いたが、もう少し書いて、ページ数にして150ページ、写真は100枚くらいを予定しており、全部で200ページくらいの本にしようと思っている。脇道にばかり外れており、書いていて、これでいいのかといつも思っているが、とりあえず大まかに書いてみて、これから修正、補足していきたいと思っている。
同時に、写真の方も集めているが、古い写真がなかなか集まらない。著作権法では、50年過ぎた写真は使えるので、古い絵はがきや本の写真は使えるが、1972年以降のものについては、版権が生じて、許可が必要となる。一部の写真については、幾らかの利用料を払えば、本への掲載が可能となるが、そうでない一般の本については、著者まで連絡して、許可を得るのはなかなか難しい。このあたりは自分自身、あまり明確には考えてはおらず、ブログに掲載する写真では、こうした版権を無視して勝手に使っている場合も多い。ただ価格をつけて本を出版する場合は、もうけが全くなくても、できれば著作権の許可を得たいと考えている。
そこで家内やその親類、あるいは従業員にも古い写真ないか、尋ねているが、不思議なことに風景だけ、それも地元、弘前の写真はほとんどないという。確かにその通りで、尼崎の昔の家、診療所も、その家の前で、家族で撮った写真はたくさんあっても、診療所だけを撮った写真はない。
今はデジタルで何枚撮っても、費用はかからないが、昔は24枚、あるいは36枚フィルムを買うと、フィルム代以外にも現像代とプリント代がかかり、見慣れた近所の風景を写真に撮る余裕はない。ほとんどの写真は、人物が写っているが、風景は観光に行ったところのもので、弘前市の風景を写すことはない。いつも見慣れた風景を高い費用を出して写真に残そうとは、大概の人に思わなかった。当時、街の風景の写真を撮る人は、高いフィルム代、現像代、プリント代を支払っても撮りたいと思う人、恐らくプロあるいはアマチュアの写真家であろう。昭和40年頃でそうなので、もっと写真代が高かった戦前の風景写真、それも町のありふれた街並みや建物を写すことは少ない。絵はがき、古い写真集を中心に集めてみたい。
こうしたこともあり、古い弘前の写真集を見ることが多い。「写真で見る弘前 故郷のあゆみ 弘前I II III」(山上笙介、津軽書房、1981)は、多くの写真を集めていて楽しい。この写真集には、遊郭の芸妓、女学校の生徒など、明治、大正、昭和に弘前の女の人が写っている写真が多数ある。他の県のこうした写真を見ることがあるが、津軽の場合は、美人が多い。例えば、県立弘前高等女学校の大正14年の“運動着の高女生”とついたタイトルの写真を見ると、半分以上の生徒はかなり綺麗な顔をしているし、その写真の横にある“冬の長いマントとショール”(大正12年の高女生)の女性は、AKBでも通用する。他の集合写真を見ても美人の割合が高く、昔から津軽には美人が多いことが、こうした古い写真からもわかる。ただ身長についてはおしなべて低く、これが現代と一番違う点で、160cm以上の女性は、昔はかなり少なかったが、平成26年度の統計では青森県女子の17歳の平均は158.5cmとなり、160cmどころが170cmを超える女性も少なくない。栄養の向上が戦後の身長の増加を招いたのだろう。
今話題の森町の忍者屋敷の古い写真が載っていたので、無断で引用する。私自身は、この忍者屋敷については懐疑的であるが、この写真のコメントにも“忍術家の旧宅と伝わる古い家屋”とのコメントが入っている。周りが木々に囲まれ、藁葺きがトタンになっただけで変化はない。
以下の写真を探しているので、もし個人撮影の写真がありましたら、ご協力ください。
1. 昭和40、50年代の弘前駅前、代官町、土手町の写真
2. 次郎兵衞堤の水をたたえた頃の写真
3. 紀伊国屋書店、今泉本店の写真
4. 昭和40、50年代の一番町、ハイローザの写真
5. 上白銀町にあった当時の旧東奥義塾高校の写真
6. 城内にあった弘前市営野球場、図書館の写真
7. 昭和60年以前の和徳大通りの写真
8. 旧弘前魚市場(一中の横)
9. 今は無くなった古い喫茶店
本からのコピーでない、個人で撮影したものに限ります。これ以外にも古い弘前市内の風景写真を募集しています。スマホでプリントを撮影し、添付して下記のアドレスまでお送りください。掲載された場合は、印刷した本を差し上げます。
送り先: hiroseorth@yahoo.co.jp 広瀬寿秀
おまけ:最近発見したここ20年は聞いていない曲、懐かしい
0 件のコメント:
コメントを投稿