2021年8月1日日曜日

わからない写真










読者の方より貴重なお写真を多数、送っていただき感謝している。大方の写真については、その看板や建物から、いつ、どこで撮影したのかはわかるが、どうしてもわからない写真が2枚ある。

 

ここに挙げたのは藩祖為信公350年祭りの大名行列の写真で、撮影年月日は昭和31821日か22日であることははっきりしている。まず最初の写真は、電柱にある広告看板から「松枝医院」の字の横に下白金町の字がかろうじて読める。もともと松枝医院は、現在の松枝歯科医院があるところとはではなく、より城よりにあった。また「福原小児科」の看板があり、現在の上鞘師町の福原循環器クリニックあたりと思われる。松枝医院の看板の下のある松竹の看板は百石町の弘前松竹大和館となる。となるとこの場所は、元寺町と上鞘師町の交差点付近と思われる。

 

 上野菓子店、マルエ食料品の情報はネット上にはない。上野菓子店の看板のある建物は、かなり大きく、二階全て障子があることから、旅館あるいは遊郭が考えられる。大正8年の「青森県弘前市俯瞰地図」を見ると、この付近での旅館は、元寺町の齋栄旅館、齋吉旅館、一番町の佐々木旅館、大室旅館があるが、昭和31年に残っているのは、齋栄旅館くらいか。ただ「青森県弘前市俯瞰地図」に載っている建物の絵とは屋根の向きが異なり、一致しない。また上野菓子店が入っている旅館とマルエ食品の間に道らしきものがあり、ここを元寺町と上鞘師町の交差点とし、元寺町に大名行列が運行しているとすると、この細い道が上鞘師町となる。ただ今はかなり広くなっているが、「弘前大絵図」(1800年頃)で道幅を調べると5間くらい、9mあり、こんなに細い道ではない。すると大名行列が運行されているのが、上鞘師町なのであろうか。マルエ食品と上野菓子店の間は道ではなく、空き地となる。ただ松枝医院、福原小児科の看板の位置が気になる。

 

 

もう一つの写真は、山車が大きく写っていた、それ以外の情報は少ない。左の電柱の広告看板、「ストゼンの下駄」は黒石市のストゼンのことでここでは関係ない。そうすると唯一の目印は右に見える「弘前ホテル」となる。明治に代官町にできた3階建ての弘前ホテルではなく、昭和20年に一番町7にできたホテルである。現在のアルクが入っているビルあたりである。右に看板を信じるなら、一番町から旧警察署方向に撮った写真となる。ただ左にある“カネボウ”と書かれたビルについては、現在でも同じような4階建てのビルがあるが、窓の形態がかなり違う。ただこの鉄塔ハシゴあのような電柱については前の写真にもあり、弘前ホテルの看板も無視すれば、一番町以外の可能性もある。

 いずれの写真も昭和31年というから65年前に撮影されたもので、おそらく撮影者は亡くなった可能性が高いが、在命中にどこで撮ったか聞いていれば、1分でわかることが、後で調べるとなるとなかなかわからない。フィルム写真と違いデジタル写真になると場所、時間がGPSデータとして自動的に記録されるのでありがたい。


PS:先ほど読者の方からメールをいただき、写真の撮影場所が判明しました。上の写真は上鞘師町と元寺町の交差点、斎栄旅館で、大名行列は元寺町を移動しています。次の写真も同じく、元寺町の青森放送弘前支社付近から撮影したものだそうです。貴重な情報どうもありがとうございました。




 

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