2023年9月2日土曜日

マスコミの打たれ弱さ





 

今ネット上で話題になっているのが、安芸高田市の石丸市長と市議会及び四国新聞との戦いで、理路整然と議論する市長と議員、新聞記者の対決が面白く、数十万回の再生となっている。個人的には、議会運営も含めて市長の手腕であり、こうも議員と対立していては、自分の政策を実行しようにもなかなか実現できないのではと危惧する。世の中、面と向かったお前はバカだと言われば、誰も腹が立ち、そうした人とは協力したくないと思う。市長、知事など地方自治体のトップの方が、参議院、衆議院議員よりは直接、政策策定、実施ができる利点があり、最近では優秀な人物がこうした地方自治体のトップになることも珍しくない。ただこれまで町村レベル、あるいは一部の市のトップあるいは議員の多くは大卒でなく、青森県の地方自治体議員の中には中卒の方も多くいる状況で、安芸高田市の議会と同じようなことは全国の自治体でも起こりえる。ただ市民、町民、村民にとっては、自分たちの暮らし、生活のプラスになってくれればいいわけで、こうした議会、新聞社の議論をYou-tubeに挙げられても、どうだろうか。

 

それはさておき、私自身が一番、面白く思うのは、市長と中国新聞の記者とのバトルである。このやりとりはYou-Tubeでじっくり楽しめるが、新聞記者がこれほど打たれ弱いかと驚いた。常日頃、この中国新聞の記者も含めて、新聞記者は権力と戦うことを使命に、自分が質問して、権力者、例えば、政治家がきちんと答弁しなければ、かさをかけて攻め立てるが、いざ自分が攻撃されれば、新聞社が日頃、唱える悪徳政治家、社長と同じ答弁を行う。例えば、はい、いいえ、どちらでもないの3つで答えろと言っても答えない、アンケートをしたならその資料全部を公開しろと言っても公開しない。これでは、政治資金の解明のために領収書を開示しろと政治家にマスコミで叩いても、その新聞社自体が同じように資料を隠すのであれば、責めることはできないだろう。

 

さらにひどいと思うのは、四国新聞と言っても、実際は安芸高田市を担当する一記者とのバトルであるが、視聴者の多くは、これを四国新聞と市長のバトルと認識しており、四国新聞自体の信頼失墜につながることを新聞社上層部があまり自覚していないことである。新聞社が嘘をつく、偏向しているというレッテルは、料理店で言えば、まずいに匹敵する最大の悪評であり、これを払拭しないのは危機感のなさを示している。普通に考えれば、市長との議論があれば、誠実に対応し、市長が例えばアンケート全体のデータを見たいと言えば、包み隠さず見せればいいし、その中の間違いを指摘されれば、詫びれば良い。また第三者委員会を開催し、明らかな偏向と認められる記事があれば社長更迭も含めて検討すべきである。これはもし政治家が同じようなことをした場合、記者は平気でこうした要求をしているからである。新聞記者あるいは上層部も含めてエリート化しており、その内容は銀行など大手企業と同じようなものであり、権力―反権力という構図で言えば、新聞社も権力側になってしまったようだ。

 

たまに地元青森県の新聞、東奥日報でも識者による誌面批評というコーナーがあり、新聞記事などについて指揮者のコメントが載せられているが、まあお茶を濁したような内容である。新聞、マスコミが権力側と同じような構造であるなら、それを批判する別の存在が必要であり、安芸高田、石丸市長の活躍がこれほど世間の注目を引くのも、こうした理由かもしれない。逆に言えば、全てのマスコミ、新聞社にも、厳しく追求するコメンテーターが必要かもしれない。ジャーニズの問題にしても、あんなことは数十年前からマスコミ関係者は拗ねて知っていた事実であるが、所属タレントとの関係から、ほとんどのマスコミ関係者が口を閉ざした。ようやく海外からの指摘を受けたが、いまだにマスコミの取り上げ方には後ろめたさが残っている。太平洋戦争中の新聞社の対応とそれほど違わず、マスコミ自体が正義という幻想ももともとなく、今回の安芸高田市の一件から、新聞社、あるいは新聞記者も政治家、社長など権力者と同じ穴のムジナということが白日の元に晒された。門田隆将さんや百田尚樹さんなどのテレビで出せば、視聴率の点でも面白いと思うが、そうしたことをしようとしないのもテレビ業界のエリート化によるのであろう。

 




0 件のコメント: