2023年9月28日木曜日

最近は野球を見ません

 


阪神タイガースが18年ぶりに優勝し、地元の尼崎は大いに盛り上がっている。今では阪神ファンでなければ、尼崎市民でないと言われるほど、熱狂的なファンが多いところである。ところが私の子供の頃、昭和30年後半から40年代について言えば、大人は今と同じで、阪神ファンが多かったが、子供は巨人ファンが多く、巨人の野球帽が人気があった。「巨人、大鵬、卵焼き」というのは、昔の子供が好きだったもので、大鵬は大相撲の大横綱のことで、あとは甘い卵焼きである。弁当のおかずとして、ウインナーソーセージと卵焼きが定番であった。私の場合は、特別で、このおかずメニューが中学、高校の6年間の弁当おかずで流石に食べ飽きた。巨人の試合は全て、夜の7時からのゴールデンタイムで放送され、夕ご飯を食べながら、家族で野球を見るというのはごくありふれた日常的な風景であった。特に子供、ちょうどジャイアンツのV9の時代にぴったり合う時代だったので、強い巨人に憧れた。おう(王選手)、金田(金田選手)、拾うか(広岡選手)、やっぱりよした(吉田選手)」というダジャレフレーズがあった。

 

当時の巨人のメンバーというと、一番は足の速い柴田、二番はコツコツ当てる土井、三番はボームラン王の王、そして四番は長島、五番は色々と変わったがキャチャーの森、六番は國松、七番は黒江、八番は柳田、なんかいたようだが、記憶は薄い。それでも皆、個性的な選手ばかりで、見ていて楽しかった。ついでに1966年当時の阪神タイガースのメンバーを調べると、一番は並木、二番は本屋敷、三番は藤井、四番は遠井、五番は山内、六番は安藤、七番は辻、八番は朝井というメンバーであった。遠井と山内くらいしか覚えておらず、流石にこのメンバーでは子供受けはよくなかった。主力の遠井選手は足は遅い、守備はできない、ホームランは打てないが、四番打者であったし、さらにエースの村山というといつも悲壮感ばかりが目立っていた。サンテレビというUHFの地元テレビが開設されるまで、巨人:阪神戦以外はテレビで放送されなかったのも原因で、阪神ファンは球場に行くか、ラジオを聴くしかなかった。阪神ファンにとっては、いつも阪神戦が見られるサンテレビの開局に狂喜した。

 

小学校4年生くらいの頃だったか、少年マガジンに長嶋茂雄の住所が載っていた。当時は今と違い、有名人の個人情報はダダ漏れで、誌面の横に細長い空欄に平気で描かれていた。そこでオバQのハンカチを買ってきて、送付用封筒を入れて「サインしてください」と書いて送ったところ、二週間くらいして、サイン入りのハンカチが送られてきた。狂喜したのはいうまでもない。早速、学校に持って行き、友達みんなに自慢した。この時からずっと長嶋茂雄ファンである。おそらく同じような子供が全国にいっぱいいて、サインは本人がしたかもしれないが、手紙の送付はお付きの人がしたのだろう。調子に乗って、王貞治にも同じことをしたが、返信はなかった。それ以来、王貞治選手は嫌いである。

 

サインというと、甲子園球場で多分、オープン戦であろう、西鉄の尾崎行雄選手が球場から出る時を見計らって、サインをねだると、心地よくサインしてくれ、大変嬉しかった。尾崎選手は当時、豪速球で子供に人気があった。また1971年、中学3年生の時に、親父が友達から一塁側の券をもらってきて、オールスター戦を西宮球場に見に行ったことがある。ブルペン上の江夏豊選手の球の速さに驚いたが、そのまま9連続三振という偉業を達成し、痺れた。

 

もはや野球を見ることもほとんどなく、大リークをたまに見るくらいである。あれだけ話題になったWBCの日本代表、大谷以外の選手、ほとんど知らなかったのには、我ながら驚いた。そういえば、テレビのコマーシャルでも野球選手を見ることはほとんどなくなった。イチロー、大谷、など皆、大リーグあるいは元大リーグ選手ばかりである。昔は、テレビで放送されるスポーツは、野球、ボクシング、プロレス、相撲くらいしなかったが、今はありとあらゆるスポーツがテレビで放送され、逆にワールドカップのサッカーの試合の一部が、地上波放送で見られない状況となっている。他国では暴動になるだろう。代表戦が見られないスポーツは、次第に関心がなくなるだろう。


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