2024年5月11日土曜日

 歯科医師国家試験の思い出

 



私が歯学部を卒業して、歯科医師国家試験を受験したのは、昭和56年であった。筆記試験と実技試験の二つがあった最後の方の年で、確か数年後には実技試験が廃止された。

 

筆記試験の準備は、1年ほど前からクラスの成績優秀者数名が担当委員となった。東京で行われる全国的な対策委員会に出席して、傾向と対策を伝授され、持ち帰ってクラスで説明する。国家試験の問題は各大学の教授が作り、ある程度、教授名が絞られるので、そこの大学の学生が傾向を調べてくる。最初の頃は数ヶ月ごとの集まりだが、受験日が決まると、頻回な集まりとなり、受験日直前になると電話で、こんな問題が出るぞといった伝言がしょっちゅう回ってくる。実際、ほとんどがガセネタであったが、唯一、ある大学から出た情報は正しく、事前に問題が漏れていた。後に問題となり、新聞でも取り上げられた。今は物忘れが酷いが、当時は暗記ものが得意であったので、それほど受験に苦労した記憶がない。歯学部、医学部の授業についていえば、暗記ものが得意な学生は楽である。受験が終わると、自己採点のために、みんなが解答を持ち寄り、正誤の検討をする。私は12回生であったが、開校以来国家試験に誰一人落ちたことはなかったので、初めて落ちると、大変なことになるというプレッシャーがあった。今でこそ合格率が常に100%ということはあり得なかったが、これがずっと100%であったのはよく考えると奇跡的であった。幸い私の学年も全員合格したのでほっとした。国試の結果発表前に、私は母校の小児歯科講座に入局したが、講師、助手の先生とその年の国家試験の小児歯科の問題を解いていた。答えに苦しむような問題だったが、突然、教授室から教授が出てきて、その問題について懸命に説明する。自分が作った問題だったようだ。

 

今は無くなった実技試験を紹介しよう。親父の世代の実技試験というと、実際の患者さんを大学病院に連れてきて、その手技を見て試験官が採点するというものだった。この方法は患者集めに苦労するが、今でも世界中で行われている試験方法で、最も実践的な試験法である。私らの時代では、実技試験は2日にわたって行われる。全部床義歯の人工歯配列は、咬合器に装着した蝋堤に人工歯を配列していくのであるが、何しろ、学生の頃はこの工程だけで2日を要したものを、2時間で仕上げる。もちろん筆記試験が終わり、実技試験までの1ヶ月、毎日、朝から夕方までひたすら実技試験の練習をするのであるが、実際に受験する頃になると、1時間くらいでほぼ配列し、あとがずっと研磨して仕上げる。試験監督のリーダーは、よその大学の教授であったが、補助官は自分の大学の教官であったので、試験中に問題があれば、肩を叩かれ、こそっと注意をもらう。補綴の実技試験のときは、突然、試験場に吉田教授が現れ、受験生の作品を見ながら、でかい声で「今年の学生は上手だ」と言い放つ。試験監督が母校の後輩と見越しての圧力である。他には歯型彫刻、根管口明示、二級インレーの形成とワックスアップなどがあった。この実技試験は、落とすと、次回には仕返しをされるので、落とせないという事情があった。実際に全国の試験でも実技試験で落とすことはなかったので、次第に試験をやる意味がなくなり、廃止された。ただ卒業し、国家試験にも合格し、医局に入局しても、そのまま基礎訓練ができていたが、実技廃止後は、医局内で基礎訓練が必要となった。実技試験の評価は難しく、実際の採点は、かなり感覚的であり、報復を恐れれば試験官の教授は、どうしても不合格者は出せなかっただけ、ある程度の基準を作れば、試験としては問題なかった。実際に、日本矯正歯科学会の臨床指導医(旧専門医)の症例試験で言えば、細かな採点基準があり、合格者は30%くらいであった。国家試験の実技試験でも、通常のゆるい基準でも、歯科医に向いていない手先の器用でない人が必ず存在し、5%くらいの不合格者が出ても不思議でない。それを言えば、臨床研修医でも、研修の最後には、研修医の評価を行い、不合格ということもありうるのだが、実際はほぼ100%合格する。以前、担当者に診療研修医に不合格になる医師、歯科医について聞いたところ、精神的な問題で、不合格になる人がたまにいるとのことであった。

 

私が知る限り、日本を除く他のすべての歯科医師国家試験では実習試験がある。アメリカの場合は、州ごとに試験を受けなければ、開業はできず、実際の患者の治療を試験官が採点する。韓国の国家試験では、支台歯形成やセファロ分析もあるという。


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