2024年5月13日月曜日

青森県立美術館 美術館堆肥化宣言

マチスです








子供の頃から絵は上手い方であった。小学5年生の時であったか、図工の時間、クラスの女の子が空を紫色に塗っていて驚いたことある。当時、図工の猪俣先生に習った、筆を洗った水で空を描くというテクニックに有頂天になっていただけに、なんで空が紫なんだという感覚は忘れられない。現実にある風景をいかに忠実に表現しようかとしていただけに、青い空、曇った空を紫に表現する彼女の感覚にびっくりしたし、図工の猪俣先生も絶賛していた。ただ彼女は絵の才能が特別あったのではなく、たまたまこの時、紫色の空にしただけであった。

 

昨日、フランク・ロイド・ライト展が最終であったので、家内と一緒に青森県立美術館に行った。建築家の展覧会というのは難しく、写真と設計図いっぱいの展覧会で、あまり面白くはなかった。普段は企画展だけいくのだが、今回は一般展も見たが、とりわけ棟方志功のでっかい肉筆の壁画には驚いた。大きな鳥を描いたもので、わずか2日と書き上げたというが、まるで富岡鉄斎の代表作の富士の絵に匹敵する迫力があった。これを見たただけでも行った価値はあった。おまけの展覧会の「美術館堆肥化宣言」という変わった企画展が開催されていて、現代アーティストから農家の人、写真家など様々な人々の作品が展示されていて、これは面白かった。とりわけすごいと思ったのは、いわゆるブリュットアートと言われる障害をもった人々の作品で、これについては以前から興味があって、2016.11.2ブログと2016.9,8のブログでも紹介した。今回、発表したのは弘前大学教育学部有志という集団で、作家の名前も書いていたが、記録するのを忘れた。強烈な個性を全面に出した色彩とフォルムで、こうした作品を見て、私が小学校の時に味わった紫の空と同じようなショックを覚えた画家も多いだろう。

 

まず女性の3点の肖像画、紹介では“子どもあとりえプランタン蔵(2022)”となっているが、マチスの傑作である。フォルムと色使いはすごいとしか言えない。ピカソ的とも言えようが、全く影響は受けていない。二点目の作品は、斜め線を多く描いたもので、うちの家内はたくさんの鯉のぼりと言えっていたが、私には楽しそうな小魚に見えた。色使いと余白、あるいは縦に流れた線もアクセントになっている。説明には「ほほえみおらんど蔵」(2023)となっている。ニューヨークのメトロポリタン美術館にあってもおかしくはない。作品から多くの発想を産むのは、現代抽象画にとっては重要な要素となる。三番目の作品は、ブリュットアートかどうかわからないが、完成度が高く、どこかで売っていれば書いたいと思った程だ。逆に完成されすぎて、最初の二点ほどのインパクトはないが、それでも売れる作品であり、画家として十分に生活できるであろう。

 

最後に棟方志功の鳥の絵を紹介するが、あんなにでかい2、3mある鳥は見たことがない。写真で見ると四曲の屏風のように思えるが、実物は遥かに大きく、壁画である。個人の家の依頼で描かれたというが、よくこんな大きな作品を家に入れられたものだと思った。あの大きな美術館でも狭いくらいであった。棟方も子供の頃から目が悪く、ある意味、ブリュットアートの範疇でみた方が良いかもしれない。左目はほぼ失明、右目の視力も低く、本人も言うようにモデルを使ってもよく見えないため、心に感じたものを表現した。もし棟方の視力がよければ、彼の作品は違ったものになったかもしれない。

 

草間彌生は、統合失調症の幻覚、幻聴から逃れるために絵で表現したとしているが、彼女しか見えない、感じられないものが作品として強烈な個性を放っているし、モネも晩年はほとんど視力がない中で、蓮池の連作を描き続けた。アンリー・ロートレックは、骨形成不全症で身体発育不全であったし、ゴッホも間違いなく統合失調症などの症状があった。山下清は日本のブリュックアートのはしりと言ってもよかろう。つまり偉大な芸術家の中にも、今ではブリュットアートとされる人も多くいて、殊更健常者と区別する必要もないかもしれないが、やはり、特別な教育も必要であろう。今回の展覧会では、あえてブリュックアートと言う括りを外して展示していたが、それでも強烈な個性を発揮していた。もっと画商なども積極的に応援、支援し、販売につながるようなところにきているように思える。さらに多少の技工が必要で費用もかかる、油彩画にもチャレンジしてほしい。さらに言うなら商売、あるいは作家として生活できるように、作品の販売も含めた支援も必要であろう。





0 件のコメント: