2024年6月7日金曜日

日本画家 三浦文治


 













また絵を買ってしまった。家内から叱れるので、できるだけ買わないようにしているが、ヤフーオークションでいい絵が目に止まるとつい欲しくなる。と言っても自分で落札限度を決めており、大体2万円までとしている。さらにオークションでは有名画家は偽物が多いので、知らない画家の絵に入札するようにしている。有名作家については高く売れるので贋作も多いが、全く無名作家の贋作を作っても意味がないからである。

 

今回購入したのは、東京美術学校を優秀な成績で卒業したが、プロにはならず新潟の高校の美術教師として生涯を全うした三浦文治という画家の作品である。

 

立葵(タチアオイ)は今の時期、よく見かける綺麗な花で、真っ直ぐに天に向かって伸びる幹と、赤いあるいは白い花が美しい。日本画の画題になる花で、多くの画家が描いている。この作品は、絵画的な手法は実に優れており、線も美しい。構図的にも、立体感を出すために、後方の花は少し薄く塗り、前方の花は鮮明な着色をしている。画にポイントをつけるために少し枯れた葉も随所に配置しており、全体的には落ち着いた雰囲気の絵で、気品がある。画家の器量が十分にわかる作品である。ただ奇妙な点は落款であり、少し稚拙な字で「昭和九年夏 文治冩」と書かれている。日本画家の多くは、本名とは別に画号を持ち、絵にはこの画号を使うのが一般的である。また江戸、明治の画家のような達筆な署名ではなく、素人のようなういういさを残す。

 

もちろんこの絵は贋作ではないし、同時代に「文治」の落款のある画家はいないことから、三浦文治の絵には間違いない。ただ死後、教え子によってまとめられた画集「三浦文治の世界 その絵にはいつも心の青空があった 青空先生と呼ばれた日本画家」(1996)を見ると、落款は違うし、絵の雰囲気も違っている。調べるとこの人は将来を期待された優秀な画家で、同級生には日本画の大家となる東山魁夷、橋本明治、加藤栄三などがいて、彼らと六篠社展を結成し、ベルリンオリンピック絵画部門にも日本代表として出品している。昭和20年に故郷の新潟に帰京後は、旧制新潟中学校はじめ、県内の多くの高校の美術講師をして定年まで勤めた。

 

昭和9年というのは、東京美術学校卒業後、松岡映丘に師事し、仲間としのぎを削った時代であるが、この絵については東山魁夷が師事した結城素明の影響が濃い。三浦文治の絵は、人物を景色に配置した作品が多く、ネットで調べる限り、こうした花鳥画の作品はあまりなく、珍しい。先にあげた画集を見る限り、一部の作品は優れたものであるが、他の作品は凡庸なものが多く、もはや中央画壇にでて、プロの作家として活躍しようという意欲はない。絵の才能があっても、プロとしてやっていくのは、相当厳しいし、さらにそれで生計をあるいは有名になるのは至難の技であろう。同じ絵の六篠社展の仲間の多くは後に有名な画家になっただけに、三浦文治も悔しい思いもしたのかもしれないが、立派な美術教師として多くの教え子に敬愛される人生もまたよしだったと思う。

 

一方で、28歳の時のこの立葵という作品を見ていると、戦争という画家にとっての空白の時期がなければ、プロとして同級生の東山魁夷、橋本明治、加藤栄三らと同様にもっと活躍していたかもしれないと思ってしまう。プロの画家になるのは本当に難しく、いかに才能があっても、世間から評価され、作品が購入されなければ、食っていけない。大きな展覧会で奇抜な作品を発表し、それが賞をとり、話題となって初めて世間から認められ、作家の名前に値段がつくという世界である。この作品も、将来的に古美術の世界で価値が上がる作品ではないが、純粋に作品だけを見れば、安い買い物であったと思う。何も有名でなくても、優れた画家はまだまだたくさんおり、こうした作品は、名前ではなく、絵そのものを評価する外国人には受け入れられるかもしれない。





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