2024年8月29日木曜日

歳をとっていいこと?

 



最近は、何かちょっとした体の異変が必ずある。先日、眼に下にあったホクロが大きくなってきたので、心配で、近所の皮膚科に行った。そこではガンの可能性があるということで大学病院を紹介されたが、心配なため同日に違う皮膚科を受診した。そこではほぼ100%ガンではないと言われ、後日、大学病院で診てもらったところ同じ意見だったが、気になったので取ってもらい病理検査をした。普通のホクロであった。この問題が解決したころ、半年ごとのCT検査のために造影剤を腕から入れたが、その後、右腕が痛くなった。神経損傷を疑ったが、結局、その前に行った雪掻きによるテニス肘ということらしい。今度は整形外科に行き、治療中である。こんなことが年がら年中起こっている。昔は、病院に行くようなことはほとんどなく、数年に一度、風邪をひいて熱が出るくらいしか病院に行くことはなかったが、今は一年中何かしか病院に行っている。

年をとるとマイナス面ばかりであるが、それではプラス面があるかと言えば

 

1.試験がない

最近は少なくなったが、数学の試験、アト5分なのにまだ一問もできていない。嫌な夢を見る。と言いつつ二年前に矯正歯科の専門医を取るために、40年ぶりの本格的な試験を受けた。

2.コンプレックスが少なくなる

若い時は、足が短く、胴がながいことにコンプレックスを感じていたが、最近はそんなに気にならなくなった。

3.電話で緊張しない

これは年をとったというより、慣れの問題か。全く知らない人に電話するのもあまり緊張しない。

4.睡眠欲、性欲、食欲が少なくなる。ものが欲しいという購買欲もない。

ほとんどの欲は減る。唯一あるとすれば、健康欲くらいか。

5.涙もろくなる

映画、ドラマを見ているとすぐに泣くし、ストレス解消になる。セイラームーン(映画)くらいでも簡単に泣く

6.人間に上下はないと思う

昔は年配の人や、社長さんや代議士などと偉いひとに会うと緊張したが、今はそういうことは一切ない。どんな大きな会社の社長でも会社を辞めれば、議員だって選挙に負ければただの人ということをイヤというほど実感しているからだ。

7.遅刻することがなくなる

まず目覚まし時計を使うことはほとんどなくなった。時計を枕元の3台おいても起きなかったのが不思議である。

8.人を羨ましいと思わなくなる

どんな金持ちの家でも不幸なことはあるし、功なり遂げた人であっても子供、孫に問題のあるケースをイヤというほど知った。

10. 仕事はどうでも良くなる。

  仕事があると思うと、熱が39度出ても働いていたが、今はとんでもない。仕事以上に人生には大事なことはいっぱいある。

11. 老人割引がある

映画は1100円で見られるし、弘前公園、レンガ倉庫美術館、博物館など市の公共施設の入場が無料となる。現在41の市の施設の利用が無料となっている。

12. 恥ずかしいと思うことが少ない

若い時であれば、こんなブログをするのも恥ずかしかったし、本など出版するのはまずできなかった。人からどう見られるということが気になったが、今はあまり気にしない。

 

歳をとることのマイナスは数え切れないが、プラスの点も多少あるか。要するに面の皮が厚くなっただけか。逆にびっくりするのは、人間は歳を取っても基本的な性格は変わらないということだ。この歳の同窓会でも、皆口を揃えるのは、人間的に成長していないということである。

2024年8月22日木曜日

東京への集中を減らす まず東京大学の移転を

 



旦那さんが青森出身で、奥さんが東京出身の場合、例えば旦那さんが歯科医で、青森県で開業するというと奥さんは相当嫌がることが多い。ケースによっては離婚、単身赴任(奥さんは東京)に至ることもあり、東京出身の奥さんからすれば、青森で暮らすのはよほど嫌なのであろう。逆に旦那さんが東京出身で、奥さんが青森出身の場合はこうしたことは起こらない。

 

この原因として、東京での都会生活に慣れてしまうと、田舎での生活は退屈で、耐えられないということであろう。美術館に行ったり、デパートで買い物、銀座の名店で食事、こんなことができないという。また東京の方が青森より所得が高いのも原因かもしれない。ただ歯科医や医師の場合は、東京より地方の方が収入も多いこともあり、土地や物価も安いので、東京よりリッチな生活ができる。それでも奥さんが東京出身の場合はかなり嫌がる。

 

東京出身の一般的な家庭の子供ことを考えよう。まず小中高は、確実に東京の学校に行く。そして大学もよほどのことがなければ、東京の大学に行く。そして卒業して就職するのも、東京、つまり生まれてから就職するまで、ずっと東京から外に出ないことになる。青森でいえば、高校卒業までは地元にいるが、その後、就職、あるいは進学で。おそらく半分以上の人が県外に行く。さらにいうなら県内に残った人も、何らかの時期に東京などで働くことが多く、2/3くらいの人は県外に住む経験をしている。一方、東京出身で、小中高大学、会社も東京の場合、会社による転勤で初めて県外に住んだという人も多いと思う。転勤のない職場であれば、死ぬまで東京でという人も多いであろう。

 

東京の人に言わせると、東京には全てのものがあるので、わざわざ外に出る必要もなく、何もかも十分に間に合っているというだろう。しかし、ここで考えてほしい。これではまるで引きこもりと同じではないだろうか。家の中にいれば、全てのものがあり、何一つ不満のない閉鎖社会である。引きこもりの人々が外に出るのを極端に嫌うように、東京に人は地方、それも田舎での生活を嫌う。私なら外国にも住みたいし、違った環境、田舎暮らしもいいのではと思ってしまうが。生まれたところで生活し、そこで一生を過ごす、これはこれでいいのだが、東京の場合、こうした人が多くなると、都市としての活力が減るかもしれない。

 

地方の人にすれば、子供を大学に行かせようとなると、地元に国立大学あればいいのだが、私立に行かせようとなると、レベルの高い私立大学は地方になく、必然的に東京など都市部の大学を選ばざるを得ない。さらに言うなら福岡、名古屋、仙台、札幌のような大都市でも東京の六大学に匹敵する私立大学はない。授業料以外にも東京での生活費などを送金するとなると給与の低い地方の親の負担は大きい。一方、東京生まれの場合は、家から通学するとなると生活費は基本的にかからないことになり、大学だけでなく、社会人になっても給料の大部分を小遣いとして使える。地方の人が社会人になり、東京に住むとしよう、仮に25万円給料を貰っても、住居費、光熱費、食費、雑費などを差し引くと、純粋の小遣いはせいぜい5万円くらいであろう。一方、東京の親元に住んで会社に行く場合は、多少、家にもお金を入れたとしても、給料の多くが小遣いとなる。こうした金銭的に恵まれた環境にいることも、地方暮らしを嫌がる要因となる。

 

東京有利な状況を解消することはほぼ不可能であるが、少なくとも地方消滅を食い止めるためには官民含めて取り組みが必要である。実際に種々の取り組みがなされているものの、東京への一極集中はやまない。そのためには、まず若者人口流出の元となる大学入試を改善すべきであろう。大学も一時、国の政策に基づき東京郊外に施設を移転したが、結局、学生は東京都内でも生活を憧れ、郊外のキャンパスを嫌がり、再び、都内のキャンパスに戻った。東京の若者が地方に行く方法としては、地方に魅力的な大学を作ることがある。すでに私の地元、弘前大学の医学部にも多くの東京の若者が入学しており、また秋田国際教養大学にも都会からの入学者も多い。さらに通常の大学ではないが、沖縄科学技術大学院大学にも世界中の研究者が集まっているし、パイロットになりたい人は航空大学校に入学する。東京には、現在、11の国立大学がある。一橋大学は国立市、東京農工大学は府中市、東京外国語大学は府中市、東京学芸大学は小金井市、電気通信大学は調布市など東京郊外にあるが、東京工業大学は目黒、お茶の水大は文京区、東京藝術大学は台東区、足立区、東京大学は文京区と目黒区、東京医科歯科大は文京区、東京海洋大学は港区と江東区、など、いまだに東京都内に多くの大学がある。医科歯科大学は病院があるので都内にある必要があるものの、東京海洋大学が都内にある意味がわからないし、同じく、東京大学は日本の象徴であり、この本山こそ、都内を離れるべきである。東京大学も東京の西、あきる野市くらいに移転すれば、東京に憧れて入学する人は減るし、都内に住む人も、近くではあるが、アパート暮らしになる。東京大学の都内の敷地を売れば移転費くらいは余裕に出るだろう。他大学を郊外に移転させながら、本丸の東京大学については駒場キャンパスさえも移転させない、東京大学の傲慢さは恥ずかしい。駒場キャンパスには教養学部と理学部数学科があるが、ここを売って郊外に移転するマイナス面を教えてほしい。地方からの学生にとっては、東京都内より。例えばあきる野市の方が家賃は安く、生活しやすいはずだ。東京都内に住む学生に可哀想だというなら、地方から東京に来る学生はもっと可哀想だし、東京都内の方が勉強に向いているという人はいないであろう。歴史ある学校をという人は、東京師範学校、教育大学を平気で改名し、つくば市に移転させたことはどう思うのか。まず隗より始めよではないが、東京の一極集中を減速させる一つの方法として、東京大学の郊外移転を本気で議論してほしい。大学の都心回帰のきっかけは工場等制限法の廃止と、文科省の都心部の学部増設、定員増加の認可したことであり、これをやめればいいだけの話である。


2024年8月18日日曜日

終戦記念を想う

 



軍人恩給の受給者の数が1000名を切ったというニュースがあった。戦争経験者即、恩給をもらえるものではなく、兵士、下士官で12年以上、准士官以上は13年以上と、ガッチリ軍人として戦った人でないと貰えない。平均年齢は102.2歳という。これは実際に戦場で戦った経験のある人がもはやほとんどいないことを意味する。

 

親父の場合は、昭和16年に学徒として出陣、昭和17年より関東軍として満州勤務、終戦後にロシア国境で捕虜となり、マルシャンスク捕虜収容所に昭和236月まで収容され、軍隊生活は計7年であるが、戦地勤務、捕虜期間が加算されたため、軍人恩給を貰っていた。最終階級が中尉であったので、そこそこ、確か20年前で120万円くらい貰っていた記憶がある。昭和という時代は、莫大な軍人恩給の対象者がいて、国としても財政的にかなり厳しかったであろう。

 

こうしたこともあり、終戦前後のこの時期、本来なら戦争、あるいは平和を主題として各種の番組が制作されていたものだが、もはや戦争を実際に体験した人がほとんどおらず、制作もできない状態となっている。戦争中のことを江戸時代に置き換えると、江戸から明治に変わったのが西暦で言うと1867年、終戦1945年から2024年までがほぼ80年とすると、1867年から80年後というと1947年、昭和22年に相当する。つまり昭和22年当時から江戸時代を振り返るようなもので、もはや歴史の一部分という感覚しかなかろう。

 

月刊「丸」が創刊されたのが昭和23年、そして雑誌記事を元に文庫化した光人社NF文庫が始まったのが1992年、こうしたミリタリー関係の書籍についても、もはや実際に戦闘を経験した人による記述は減ってきており、若手の作者によるオタク系の記事が多くなっている。このミリタリーオタク系の層というのは、少年漫画雑誌で連載されていた「O戦はやと」、「紫電改のタカ」、小松崎茂のイラストに感化された世代で、さらにいうとその後のプラモデルブーム、戦争映画に熱中した世代である。宮崎駿は1942年生まれで、彼もミリタリーオタク、映画「この世界の片隅に」監督の片渕須直は1960年生まれ、彼も飛行機マニア、特に軍機の塗装のオタクであり、映画「シンゴジラ」監督の庵野秀明は1960年生まれ、彼もミリタリーオタクである。逆に親父も含めて実際の戦争経験者にとっては、戦争自体にはあまり関心なく、人にも喋ることはなかった。ラバウル戦闘隊にいた人やロケット戦闘機「秋花」の整備をしていた人にもあったが、敵機と戦ったときはどうだったのか、秋花の整備は難しかったか、など質問してもほとんど喋ってくれない。

 

それでもこの時期になると、まだまだ戦争経験者のインタビューがテレビや新聞で取り上げられる。先日も15歳で予科練に入隊し、戦争末期、特攻兵器、震洋の訓練中に終戦を迎えて老人が、戦争の悲惨さと平和にありがたみを語っていた。それまで特攻というと飛行機であったが、戦争末期にはすでに特攻機自体が消耗し、有名な話としては九十三中間練習機、通称赤トンボで出撃した隊員や、九十式機上作業練習機、白菊で出撃した隊員は、せめてまともな飛行機で特攻させてくれという望みも無視された。こうしたことからモータボートに火薬をつけて敵艦に体当たりする震洋が作られたが、所詮、そんなチャンスもなく、戦果もほとんどない。ただ本土決戦の切り札として、さらに飛行機自体が払拭し、訓練もできないため、多くの若い兵士が操縦の簡単な震洋の訓練を受けた。こうした人々も、すでに94歳、最後の戦争経験者と呼んでもよい。

 

子供の頃、10歳くらいの頃、1966年当時、周りの多くの大人は戦争経験者であった。親父、親類はもちろんのこと、学校の先生から、近所のおじさんまで、普通に戦争経験者だったが、実際、大人たちは戦争のことはほとんど喋らなかった。親父にしろ、そうした話をするのは、おそらく年に一度開かれていた戦友会くらいのもので、私も戦争中の話を聞いたのは、一度、東京に親父、兄と遊びに行き、その節に千葉に住む上官に会いに行った時だけだった。1930年以前に生まれの人と、我々の世代も含めたその後に生まれた人との決定的な差は、戦争という死というものと隣り合わせの経験をしたかどうかといえよう。戊辰戦争は明治元年(1867)、日露戦争は明治37年(1904)なので、この戦争を経験した人は、前者は明治の末、後者は昭和39年、1964年くらいまでは普通にいた。ということは明治以降、戦争経験者がゼロになる初めて時代がこれから来ることになる。良い時代に生きたものとつくづく思う。


2024年8月12日月曜日

北欧家具の値段が高騰している


娘がマンションを買うというので、花嫁道具に何ももたせなかったので(ふるう!)、家具を買ってやることにした。そこで最近の家具はどれくらいしているか調べてみた。今の家を建てたのが25年ほど前。家にあるほとんどの家具はその当時に買った。まだそれほど家具については詳しくなかったが、家具は一生物だから高くても、いいものを買おうと考えた。まずダイニングの椅子は、ハンスウェグナーのYチェアとアルネヤコブソンのセブンチェアーにした。ダイニングテーブルはそれに合うものとして、厚みが50mm以上あるかなりガッチリした天板のテーブルにした。いずれも代官町にあったベターホームズという店で買った。ソファーはアクタスからムスタングというドイツ製のものを買った。台所のペンダントはヤマギワが扱っていたハンス・シュミットのデンマーク製のものにし、本を読むためのスタンドはイタリアのミケレー・ルッキのデザインのものにした。その後、天童木工のブルーのマットソンデザインのハイバックチェアーを購入して、あとはベッドなどとなる。

 

手元にモダンリビング別冊のインテリア・カタログ・家具(1998)、とインテリア・カタログ・照明(1998)という本がある。26年前の本であるが、この本に載っている当時の家具の価格と現在の家具の価格を見ると驚くほど家具の値段は上昇している。まず1998年当時のドルー円の為替を見てみると、だいたい120円から140円くらいで今よりはやや円高であった。

 

まずY-チェアは、1998年当時、ピーチ材で65000円であったが、今は100100円で、おおよそ1.5倍であるが、思ったほど上昇していない。またセブンチェアは37000円が94380円でこれは2倍以上上昇している。またブルーのマットソンのハイパックチェアーはオットマン付きで199000円が312400円で、これは約1.5倍になっている。ミケーレ・ルッキのスタンドは49200円のものが184800円と、これは3倍以上になっている。全体的に輸入家具の価格は、為替差以上に上がっているが、家具によって上昇率が違う。今、人気のあるペンダント照明、ポールヘニングセンのPH51998年当時の価格は59800円であったが、今は159500円と家具同様にかなり上昇している。

 

最近、特に人気が出ているポール・ケアホルムのPK20の革張りは647000円が2219800円、同じくPK22231000円が657800円と信じられないくらいの値段となっている。同じくアルネ・ヤコブソンのスワンは229000円(布)、エッグチェアーは417000円が、それぞれ657800円と1163800円と3倍近い価格となっている。

 

それに比べると、国産の家具の値上がりをそれほどではなく、例えば、天童木工の名作、低座椅子は48000円が85800円、バタフライ椅子は35000円が57200円で、消費税の上昇を考えると、それほど上がっていない。

 

外国製品の上昇、それもいわゆる名作椅子の価格がかなり上がっている。さらにいうとYチェアーのような人気のある家具については中古でもヤフーオークションで5万円以上で取引されており、20年以上使っても価格はそれほど下がっていない。1998年平均年収は465万円、2022年の平均年収は458万円で、ほぼ変わっていない。輸送費、人件費、材料材など、全てが高騰していて、輸入家具が高くなるのはわかるが、流石に1998年に比べて3倍以上になる理由はなく、これまで以上に名作家具を買うのが難しくなっている。大多数の人がイケヤ、ニトリなどの格安店で家具を購入し、少数の家具好きの人々が高い金を出して購入する流れがこれからも続きそうである。一方、ブランド家具については、中古でもかなり高く売れるし、子供にあげても喜ばれるために、無理して買っても損はしない。

 

個人的に、まず銀座三越で展覧会があった「ていねいに美しく暮らす北欧デザイン」で展示されていたハンス・ブラッドルッドのScandiaという美しい椅子をお勧めする。二年前に、新品を10万円くらいで購入したが、今は185130円でかなり値上がりしている。さらにヤフオクで新古ものが4万円くらいで売っており、一年前に1脚買ったが、展示品未使用で新品と変わらない。箱だけの違いである。ノルウエイという家具では有名な国でないせいか、ここ1年売れ残っている。送料を入れても安い。またイタリアのアルテミデのスタンドライトも、かれこれ25年使っているが非常にいい品で、新品は小さなものでも10万円以上するが、これもヤフオクでは15000円くらいなので、読書灯としてはお勧めできる。できれば大型の3つ折りのものを安く落札できればなお良い。昔は古くなると捨てられていた家具も、今では修理するところも増えているし、中古家具の売買も盛んであり、できるなら高くてもブランド家具の方が、こうした流れに適している(売りやすいという点で)。

25年前に買ったハンスシュミットのペンダントライト(24800円)が最近のオークションでも23510円で落札されているのをみると、新品価格の急激な価格高騰により、中古価格も値上がりしている。




 

2024年8月11日日曜日

矯正治療のゴール アライナー矯正が認められるためには

舌側面観が重要となる







上記二症例とも小臼歯の咬合が甘い、合格は厳しい?




多くの医療では、治療の最終目的があり、それに達するように治療をしていく。ただ治療のゴールというと、ある程度の幅があり、全て同じゴールということはない。例えば、がんの治療の最終的なゴールは寛解ということになるが、もちろん手術に伴う傷跡あるいは傷の引きつりなど、さまざまな問題は残り、がんになる前の状態に完全になることはできないし、それほど問題視しない。また形成外科においても、豊胸手術のゴールはなく、患者の希望によって決められる。

 

こうした点では、矯正治療のゴールはただ一点だけで、良好なオーバジェット、オーババイト(約2mm,大臼歯関係、緊密な咬合、正中の一致、良好な顔貌、などである。全ての不正咬合の最終目標はここなので、以前、2010年度に開始した症例の治療終了時の写真をまとめたことがあるが、全て同じ咬合状態であった。もちろん多少は正中がずれていたり、オーバーバイトやオーバージェットが大きい症例もあるが、概ね同じである。

 

こうした歯科矯正の特殊事情により、日本矯正歯科学会の認定医や専門医(臨床指導医)の試験も、理想咬合を100点として、そこから減点方式をとる。これを厳しくするとほぼ100点でなければ、合格させないということになる。もう二十年前のことなので時効であるが、当時の専門医試験では、二人1組で審査を行い、大体5−7人の先生の審査を行うが、合格者は通常その半分くらいであった。お亡くなりになった東京の近藤悦子先生は厳しく、合格者0ということも珍しくなかった。最終的な合格率は30%程度で、この種の矯正歯科の専門医試験では世界でも最も難しい試験となった。

 

まずオーバージェット、オーバーバイトが一例でも理想的になっていなければ、不合格だが、これはほとんどの症例で問題ない。問題は緊密な咬合関係が達成されているかという点であり、審査では模型を舌側から見て、大臼歯、小臼歯がきちんと噛んでいるかを調べる。抜歯ケースでは上顎第二小臼歯の舌側咬頭が下顎第二小臼歯の窩にきちんと噛んでいるか、第一大臼歯、第二大臼歯がどうか、という点が重要となる。認定医レベルではここが甘い症例でもOK であるが、専門医の試験ではここの咬合が甘いと不合格となる。そのため症例選択にあたってはここがきちんと噛んでいるかがキイとなる。さらに上顎前突では、トルクコントロールも厳しくチェックされる。唇側矯正でもツイードテクニックに近い仕上がりを求められる。

 

ここまで書いていて、こんな些細なことは無意味でアラ探しではないかと言われるかもしれないが、実際に提出される症例は、そこの医院で治療された最もいい症例であるので、他の症例はそれ以下という前提で審査する。自分が審査した症例で、かなり難しい症例をリンガル矯正で治療していて驚いたことがあるし、実際に10症例全てリンガル矯正で提出し、こうした厳しい審査に合格した先生もいる。リンガル矯正の方が舌側咬頭を噛ませやすいようだが、それにしてもすごい。これ以降、リンガルは難しいが、ほぼ唇側矯正と同じレベルの治療ができると思った。

 

現在、新しい専門医制度ができて、ここでの課題症例は7つか8つのカテゴリーから5つを選ぶというものである。インビザラインをしている先生の中には、インビザラインで治療した症例も専門医試験に使用させてほしいという声がある。ただ個人的には、唇側矯正でも合格率30%のレベル、緊密な咬合を重視した昔の専門医試験のレベルに、インビザラインでは無理ではないかと考えている。もしこれを完全に達成できていれば、これまで否定的であったインビザラインの治療についての考えを改めるつもりである。そもそもインビザラインをしている先生は治療前後、保定2年後の平行模型をとっているだろうか。デジタル印象はコンピュータで加工ができるために、審査には認められていない。インビザラインに対する否定的な学会や私のような昔ながらの臨床医に対して、YouTube で盛んに宣伝している先生は、是非、一度、日本矯正学会の専門医試験のカテゴリーにそった症例を学会の症例展示で発表してほしい。

 

日本矯正歯科学会、臨床指導医の課題症例は、1, Class I、2.Class II div1 high angle, 3. Class II div1 (Ext)4. Class III5. 過蓋咬合、6. 開咬、7. 早期治療、8. 顎変形症、唇顎口蓋裂、9.10. 術者の技能が十分示されているものの10症例であり、インビザラインのレッドダイヤモンドプロバイザーは年間1000症例以上、10年間で一万症例以上を治療しているわけであるので、これだけの症例数があれば、むしろ課題8を除いても、合格基準に達していないと、治療法自体に疑問が残る。是非、私の挑発に乗っていただく先生が現れ、矯正学会で展示してほしい。


*なぜ小臼歯の咬合を重視するかというと、小臼歯抜歯ケースではすでに4本の歯がなく、残りの4本の小臼歯が噛んでいないのであれば、形態機能的には8本の歯がなことになるからである。





2024年8月7日水曜日

私の好きな映画 ベスト10

 






 











前回は私の好きな曲を紹介したが、今回は好きな映画のベスト10を挙げてみる。

 

1 ある日どこかで

これはタイムトラベルものの傑作で、何度見てもその都度、感激する。名作中の名作である。

 

2.非情城市

台湾の候孝賢監督の最高傑作で、台湾史の暗黒時代を見事に描き切った作品で、すごいというより言いようがない。この映画には歴史そのものが表現されている。

 

3.いつも二人で

オードリハップバーンは最も好きな女優さんで、その作品は本当に何度も見ているが、オードリーの魅力が最も出ているのがこの作品である。ただブルーレイで出ていないのが残念で、画面が欠ける。

 

4.ロシュフォールの恋人たち

いかにもフランス的なミュージカルで今見ても本当におしゃれな映画で、この映画の中でも「双子の歌」のシーンが一番好き。

 

5.八甲田山

日本映画では、スケールの点ではこの映画が最高である。一切CGを使わないで、よくこんな映像が撮れたものだといつも感服する。高倉健の映画の中でも一番好き。

 

6.バリーリンドン

スタンリーキュブリック監督というと、まず2001年宇宙の旅がベストに挙げられると思うが、私はあえてバリーリンドンをベストにしたい。白く化粧された貴族たちの不気味な映像は脳裏に焼き付いている。

 

7.男と女

映画自体は、確かに優れているが、それ以上のこの映画は、アヌークエーメの魅力と音楽が全てである。

 

8.ベンハー

ハリウッドの全盛期の作品であり、それこそ何十回も再放送されているが、その度に見てしまう不思議な映画である。当時はユダヤ資本がハリウッドを仕切っていたので、十戒や聖衣などキリスト絡みの作品が多く作られたが、やはりこの映画が一番面白い。同じようなテレビ作品は「ホジュン」でこれも再放送のたびに見てしまう。

 

9.東京物語

小津安二郎の作品は全て好きで、とりわけ晩年のカラー作品の「秋刀魚の味」も好きであるが、やはり一作を選ぶとなると東京物語となる。

 

10. パペットの晩餐会

これはデンマーク映画であるが、料理関係の映画の中ではダントツの面白い。デンマークといえば、かっこいいとイメージを持つが、なかなか厳しい環境のようだ。

 

番外

雑誌などで著名人のベスト映画が載っているが、かなりクセのある選択で、どうも奇を衒っているようだ。ほとんど知らない作品で、たいして面白くないものが多い。この流れでいえば、台湾映画「若葉のころ」も好きな映画である。持っていたDVDを人にやってしまい、その後人気が出て高くて買えない。「言えない秘密」はようやくブルーレイが発売され買えた。

 



























2024年8月4日日曜日

My Songs











英語でMy Songsというと、青春時代に好きだった曲のことだと教えられたことがある。どうもこのうだるような夏の季節を迎えると、青春時代によく聞いた曲、海水浴にみんなで行く時に車の中で聞いた曲、友人の部屋で馬鹿話ばかりしながら聞いた曲、好きな人と聞いた曲など、いろんな曲を思い出す。

 

家に初めてステレオが入ったのは、確か小学3年生頃で、いわゆる家具調のアンプ、スピーカー、ターンテーブル一体型のもので、当時、当時朝日ソノラマから出ていたテレビ主題歌の入った薄い絵本のような本にソノシートというペラペラのレコードが入っていた。まず「狼少年ケーン」、そして「0戦ハヤト」や「エイトマン」など買ってもらい何度も聞いた。中学から高校の頃は、フォーク、ロックの全盛期で、クラスでもフォーク派とロック派に別れていた。姉が神戸の山手短期大学のフォークソング部にいたので、ブラザースフォーなどの初期のフォークソングは家でもよく聞いたが、個人的にはロックに憧れた。当時、お金持ちの友人がよく梅田のLPコーナでロックのレコードを買っていたので、何人かの友人で、金を出して、協議したレーコードを買ってもらったりした。確か2000円くらいしたので、一人500円ずつ四人で出して買ってきてもらい、それを回して聞くというシステムであった。シカゴ、ディープバープル、ELP、レッドツエップリン、など当時すでに名盤といわれたアルバムを聴いていた。

 

大学に入ると、アイワのアンプ、ビクターのスピーカとどこかのレコードプレーヤーの小さなオーディオセットを組み、ロック以外の曲も聴くようになった。当時、よく聴いたのはChase、レオンラッセル、リトル・フィート、リンダロンシュタット、またジャズにもチャレンジし、チャリーパーカー、アートペッパー、などのビバップもよく聴いたし、クルセーダーズのようなフュージョンから、オーティスクレイやOVライトのようなブルースも好きだった。

 

大学を卒業すると、仕事も忙しくなり、あまり音楽を聴くこともなくなったが、最近は昔の曲をYouTubeで聴いて楽しんでいる。今回は若い頃によき聴いた曲を挙げてみる。






















 

2024年8月1日木曜日

中国による台湾侵攻

 



近年、中国軍による台湾侵攻の噂が喧しくなっている。まず台湾を海上封鎖し、その後、ミサイル攻撃、上陸、侵攻、占領まで一週間程度の短期で制圧可能であるという。もちろんこれはあくまで最速の可能性であり、通常のシュミレーションの結果はこんなに早期に台湾を占領できるものでない。同時に台湾有事に日本が巻き込まれるという声もかなり聞くようになった。台湾侵攻にあたって、後方基地となる沖縄、宮古などの南方の島々に攻撃をかけるという。結論からすれば、日本領土を攻撃するというのは、自衛権から自動的に日本と中国の戦争となり、日米安保条約で、これはアメリカとの戦争ということになる。さらにいうなら日本への攻撃は、単にアメリカの参戦だけではなく、イギリスやフランス、ドイツなどの西側諸国の参戦を招き、ある意味、中国対世界という図式となるため、流石に日本領土への攻撃はない。

 

一方、中国が台湾に侵攻した場合、日米が直接的に助けるかというとこれも、兵、艦船、軍用機を出して参戦することは、世界戦争になることを意味する。ウクライナ戦争は、こうした場合の例として現実的となった。つまり中国が台湾に侵略しても、日米欧は直接、軍を派遣することはしないで、金と情報、軍事品による援助を行う。直接、戦うのは中国軍と台湾軍であり、それに日米欧が助けるという構図である。

 

ウクライナの場合でも、欧米の軍事支援のルート、ウクライナ西側、ポーランドからのルートについてロシアは全く攻撃できず、ほぼ自由に武器、弾薬が入ってくる。一方、台湾の場合は、陸続きの国はなく、四方が海に囲まれているので、侵略する方も大変であるが、支援する方も船による運搬ということなる。少なくと、日本から台湾への海上ルートの安全が確保されていないと、武器弾薬の支援ができない。ここでまた日清日露戦争以来の問題、中立国の船舶は攻撃できないが、捜索、捕獲を命じることができる点であり、いきなり攻撃して沈めればこれは第二次世界大戦下における無差別攻撃、そして日米欧の参戦を招く。少なくとも台湾の東側の海域のルートの安全性を台湾軍が確保することが重要となる。逆に言えば、このエリアの海域の制海、制空圏が得られれば、まず軍事力の点で、いくら巨大な軍事力を持つとはいえ、日米欧の軍事支援に勝ち目はなく、それは同時にロシア同様の中国の国力の急速な低下を招く。

 

そうした意味では、台湾東側海域の確保が最重要課題であり、その決め手はズバリ潜水艦である。最近、台湾は3000トン級の潜水艦を自主開発し、完成させた。ゆくゆくは14隻の新型潜水艦ができるというが、そうなるとこうした最新鋭の潜水艦に対抗できる哨戒能力は中国軍にないため、台湾東側海域の制海権を台湾がリードすることなる。もちろん、海に囲まれた台湾を侵攻するためには、本土から台湾へ多くの物資、兵士、兵器を送り続けなくてはいけないが、現行の中国海軍の能力では、台湾の高性能の潜水艦を捕えきらず、多くの犠牲を出すのは間違いない。

 

この潜水艦については、まずベースはイギリスの協力ででき、そこにアメリカ、韓国、オーストラリアなどが関係しているという。日本は中国政府の反発を懸念して協力はしていないというが、通常型の潜水艦では日本は世界一の技術力を持っているので、潜水艦技術の要である溶接技術は日本人技術者が教えたようだ。さらに射程400kmの地対艦ミサイルも配備が進められ、アメリカ軍がフィリピンから早期警戒管制機を飛ばせば、台湾東部から発射された地対艦ミサイルもかなりの損害を与えるであろう。日米欧も中国の台湾への侵攻を防ぐため、そのミリタリーバランスを保つ努力をしている。

 

現在、台湾が保有する新型潜水艦はたった一隻、早急の造艦が望まれる。旧軍であれば、中国にとって一番嫌なことをやるだろうから、おそらく日本の新型潜水艦、「たいげい」型を輸出するであろうが、これは流石に露骨なので、潜水艦製作の要、鋼材、溶接技術、さらに中国艦船、潜水艦の音紋などの情報など、裏ベースで供給していけば良い。台湾の西側の海は深度が浅く、潜水艦は隠れることができないが、一方、東側の海は深度が深く、潜水艦の待ち伏せ攻撃では最高の場であり、ここに多くの潜水艦を張りつかせば、中国の船は入っていけない。東側の運搬ルートが確保できれば、いくらでも軍事支援ができるので、中国とて台湾に勝てず、最終的には今のロシアと同じようになる。すなわち世界から孤立した貧困大国となる。おしまいである。同時に中国侵攻の物資輸送ルートになる台湾の東側海域は大陸棚の浅い海で、ここでは潜水艦は活動しにくいが、絶好の機雷戦を行えるところであり、もし自衛隊の引退したPCなどを供給できるなら機雷敷設に活用でき、中国にとりかなりの脅威となる。

 

ウクライナ戦争こそが、中国の台湾侵攻への一番の抑止力となっており、現状として中国による台湾侵攻もないし、それに日本が巻き込まれる可能性もない。