車を持っていないので日頃タクシーを使うことが多い。その際、運転手と無言でいるのは、何となく気詰まりなので会話をする。昨日のNHK、BSではニューヨークのケネディー空港からタクシーで自宅に帰る乗客と運転手のやりとりだけの映画、「ドライブ イン マンハッタン」を放送していた。おしゃれで自立したニューヨーカーの女性と運転手の会話は、ごくありふれた内容から始まり、そして自宅に近づきにつれ、彼女にとって人生の決断を迫るナイーブな話題になっていく。年配の愛人とスマホで際どい会話をしながら、女性と運転者の会話が続く。これだけの内容で2時間近い映画を作るのはすごい。
30年前だが、大阪、伊丹空港から実家の尼崎に向かうタクシーで、運転者との会話が弾んだ。もう都会での生活に疲れ、老後はどこかに転住したい。そして最近はタクシーに乗りながら、どこかいいところがないか、ずっと考えているという。運転手は私より年配で60歳は超えていただろう。当時、私は鹿児島大学に勤務していたが、その前年まで宮崎医科大学に勤務していた。宮崎医科大学は宮崎市の近郊の清武町というところにあり、ここは物価も安く、また一戸建ての80坪くらいの家が新築で、2000万円台、中古では1000万円代で買えたため、この地でリタイヤ生活をする人も多かった。そうした話をしていると、運転者は実は前から宮崎の清武には興味があって調べていたんですという。そこで冬は暖かかいし、鹿児島に比べて火山灰がない、宮崎市内まで車で、20分くらいで行けるなどとしゃべっていると、実家の近くまで来てしまった。運転手は会話に夢中で通り過ぎそうになった。実家に到着すると、運転者はわざわざ降りて、本当に勉強になったと随分、感謝された。ひょっとすると、この運転手は今、宮崎、清武に住んでいるかもしれない。
東京、新宿、紀伊国屋書店前で、タクシーを拾おうとするも何故か断られる。ようやくタクシーを拾え、目黒の椿山荘まで行った。後ろの席で家内とのしゃべっていると、運転手からお客さんは関西の方ですかと聞かれた。はい、兵庫県の尼崎ですというと、運転手も私も尼崎出身ですという。尼(アマ)のどこですがというと、尾浜西口近くという。中高の6年間、私は家の近くのバス停から阪急塚口駅に通ったが、尾浜西口は途中のバス停で、馴染みがあった。尼崎のことをあれこれ話していると、懐かしいのか、タクシー運転手になった理由や、東京では700万円以上の収入があり、同僚の中でも一番多い、そのコツは、などしゃべった。東京のタクシー運転手はあまり話さないと思っていたので、こちらも楽しく、あっという間にホテルに到着した。降りるときには、運転者から今日はいい話ができて嬉しいですと喜んでくれた。
鹿児島に母親が遊びに来た。タクシーに乗って市内を案内することにした。後ろの席で、母親と話していると、運転手が「あのう 失礼ですか、お客さんは徳島の方ですか」と突然、言われた。母は徳島県脇町の出身だが、徳島を離れ、尼崎に住んで、すでに50年経っていた。少し徳島訛りが残っていたのだろう。運転手によれば、鹿児島に来て20年経つが、徳島の方と会うのは初めてなので、話しかけたと言う。話しているうちにタクシーの運転手は母の実家近くの出であることがわかり、ずっと懐かしそうに話し合っていた。地元にいるとその土地の方言には無頓着になるが、地元を離れて、故郷の方言を聞くことは少なくなると、聴覚が高まり、ちょっとしたアクセントの違いでバレるようだ。私も最近になり、津軽弁のわずかなアクセントの違いがわかるようになったし、鹿児島生まれも、関西弁でも大阪、神戸、京都の違いも判別できる。タクシーの密室で、こうした故郷の言葉の断片を聞くと、運転手も懐かしいと思うのだろう。
タクシーの運転手は毎日、毎日、多くのお客さんと密室で接する職業だが、映画のようにお互いもう二度と出会わない関係なので、中にはかなり深刻な、奇妙な会話もあるのかもしれない。タクシー運転手から作家になった梁石日さんもいる。
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