昨日、評判のいい「スターウォーズ マンダロリアン アンド グローグー」を見てきた。子連れ狼と夕日のガンマンを足したような作品で、正直、がっかりした。1977年に公開されたスターウォーズは、多分、ジョージ・ルーカスが関わっていた頃までは映画館に見にいったが、その後はテレビで放送された時に見るくらいで、あまり興味はなかった。筋が前後して全体がわからなくなったせいと、あまり未来感がしなくなったことが理由である。子供の頃、21世紀は空飛ぶ車が走り、誰もが月に観光旅行に行けると思っていただけに、今ではスターウォーズの戦闘機にリアル感が全く感じなくなった。
私が最初に映画をみた記憶は、親父、兄と一緒に阪神尼崎駅前の東洋劇場に「思い出のサンフランシスコ」を小学校1、2年の時と思う。トニー・ベネットの歌うヒット曲、サンフランシスコのケーブルカー、金門橋といったシーンが記憶に残っていて、自分では最初に見た映画と確信していた。ところが最近、AIで調べてみたところ、1960年代にそんな映画はないと言う。候補の作品としていろんな映画が出るので、全てYouTubeで確認するがどれも違っている。あれが幻というのか。この歳になって不思議な体験である。
他に当時の記憶をたぐると、東洋劇場で見た「アルゴ探検隊の大冒険」(1963)ははっきりと記憶しており、小学校2年生の頃となる。「恐竜百万年」(1966)もここで見た。ラクエル・ウェルチのおっぱいにはびっくりした。尼崎東宝で見たのは、怪獣ものと若大将シリーズで、これは友達同士で行った記憶がある。記憶では「モスラ」のピーナツの歌はよく覚えているので見た気がするが公開は1961年、5歳の時で、少し自信がない。「キングコング対ゴジラ」(1962)や「モスラ対ゴジラ」(1964)、「怪獣総進撃」(1968)までは完全に覚えている。多分、兄貴と一緒に行ったように思う。また大阪梅田にOS劇場ができた時に「これがシネラマだ」という映画をわざわざ見に行った記憶があるが、調べると1955年に大阪OSと東京帝劇の2館でのみ公開されたようで、私の生まれる前である。1962から1964年にかけてリバイバルで全国上映されたので、それを見たのかもしれない。
淀川長治の土曜洋画劇場(日曜)は、テレビで映画が見られるということで、一家で固唾の飲んで見た記憶があり、最初の映画「裸足の伯爵夫人」は曲と共によく覚えている。1966年10月で放送された第一作で、当時10歳であった。徳島県脇町で見た映画で印象深いのは「四谷怪談」(1956)、「世界残酷物語」(1962)だったが、かなり古い映画を上映していたので、いつ見たかはわからない。アニメで言うとディズニーの「101匹わんちゃん」(1962)は母親と尼崎OSで見た記憶があるが、6歳くらいである。
昭和40年代の尼崎の映画館といえば、尼崎東宝、東洋劇場、OS劇場、尼崎松竹は小学校の頃、よく行ったが、国道2号線沿いに二つくらいあったと思うが、行ったことはない。時代劇は一切記憶にない、多分、当時も人気がなく、あまり放映していなかったのだろう。小学校一年生くらいからの記憶ははっきりしているが、それより前は不確かであるが、カラーテレビもない時代、映画は子供だけでなく、大人の娯楽であり、映画館の通路に座って見た。大人はタバコも吸っていた時代である。
今はAIで昔の記憶を探ることができるようになったが、あれだけ自分では鮮明な思い出でも、今調べると間違いだったということも案外多い。人間の記憶というのも随分適当である。後年の記憶が変な形で入り、記憶を作り直しているのだろう。一方、怖いのは、ネット上に情報がないと実際にあったこともなかったことになる。例えば、私が通ってした難波幼稚園は、姉、兄、私も通った幼稚園だが、ネットで検索しても違う幼稚園の名が出てくる。AIで調べてもいい加減な答えばかりで、唯一、私のブログくらいにしか難波幼稚園のことが書かれていない。尼崎天主堂についても、AIでは全く出てこないし、Googleでも検索されず、私のブログから検索しないと尼崎天主堂の記事にはいかない。GoogleおよぶAIの最大の問題点は古い情報は自然に消失していき、検索結果にも載らなくなる。AIで聞いてみると「声の大きいWebサイト」や「多数派の意見」だけが正義となり、少数でも極めて正確な一次情報(個人ブログの記録など)が完全に無視される
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