私が大学病院にいたのは25歳から38歳までの13年間で、最初3年間は東北大学歯学部小児歯科、次の10年間は鹿児島大学歯学部矯正歯科にいた。途中、1年間は宮崎医科大学歯科口腔外科に出向した。東北大学にいたときは医員という役職で、日給払いの雇用であった。鹿児島大学、宮崎医科大学では助手、今でいう助教で、ようやくボーナスももらえる常勤雇用となった。
鹿児島大学歯学部病院では、学生実習は小児歯科と矯正歯科が一つの単位として小児患者を診るシステムであったので、小児歯科もできる私は重宝された。大学病院の診療室も小児歯科と矯正歯科は受付が同じで、フロアも同じであったので、小児歯科の先生とも親しかった。
そういうことで1年間の矯正歯科の基礎実習が終了すると2年目からは学生実習の指導教官となった。当時、矯正歯科から宮崎医科大学歯科口腔外科に矯正歯科の先生が1年間出向し、そこで唇顎口蓋裂患者、外科矯正患者の矯正治療を行なっていた。4年目には私もここに出向し、鹿児島大学に帰ってきてから、辞めるまで5年ほどずっと外来長をしていた。
医学部、歯学部のシステムでは、教授、准教授、講師、助教という職名だけでなく、講座、医局内での役割もあり、医局長、外来長、病棟長の3つが主なものである。医局長は医局内の細々としたこと、例えば医局員のスケジュール管理、カンファランス、研究会、忘年会、送別会の日時の設定から新人教育のカリキュラムなどを担当する。一般的には准教授、講師クラスがなる。外来長、外来関係一般の仕事だが、病棟のない矯正歯科では、この仕事は多岐にわたっているし、結構大きな力を持っている。講師あるいは筆頭助教がなる。
例えば、外来で使う機材、器具の管理、購入も外来長の管轄で、矯正歯科では毎日、多くのブラケット、バンド、ワイヤー、ゴム、印象材、石膏、が消耗される。衛生士、看護師に在庫管理をしてもらい、なくならないように補充していくのも外来長の仕事である。さらに医局員の意見を聞きながら、新しい製品を試したりすることもある。そのため、矯正歯科関係の業者が最も近づくのが各大学の外来長である。もちろん、全ての購入については教授に確認してから発注する。そのため、矯正歯科機材については医局内でも最もよく知っていた。
外来長の仕事の中でも最も大変なのは、矯正歯科では新規患者の配当である。当時の鹿児島大学病院矯正歯科では、新規患者も1日に1、2名だったので、基本的には外来長は新規患者全てを診る。そして大まかに見て、治療の難しさ、あるいは不正咬合の種類を把握する。矯正歯科の認定医になるためには、不正咬合のカテゴリーの沿った症例を治療しなくてはいけないので、こうした仕訳が必要となる。実は、こうした認定医制度のできるまで鹿児島大学病院矯正歯科は全国でも珍しいグループ診療をしていた。医局員に患者を配当するのではなく、医局員全員でみるシステムで、朝、診療室のチェアーに座ると、そこに来る患者をいきなり診なくてはいかない。当時、6か月ごとの検査をしており、午前中はこうした検査患者の時間となる。一つのユニットに大体午前中に2名入り、座るとすぐに患者の印象をとり、放射線科に送る。技工室で印象材に石膏をもり、それが固まったら、大まかにトリミングして、放射線科から送られるレントゲン写真をその場でトレース、分析し、教授回診に備える。教授がやってきて分析、診断、今後の治療方針を述べ、問題がなければ、次の患者もまた診る。うまくいかないと後日、カンファランスに回され、そこで協議する。こうしたグループ診療は短期間で多くの患者をみる点では優れていたが、認定医制度では医局員が最初から最後まで診た症例を出さなくてはいけないので、私が外来長をしていた時に廃止し、配当制にした。
他にも、本来、医局長がやるべき医局員の新人教育、一般歯科医向けの講習会、一般歯科からの症例相談もした。教授がいい人で、外来長の仕事を一任してくれ、責任だけが俺が取ると言ってくれて嬉しかったし、のびのび仕事ができた。また矯正歯科では基本的には夜間、休日診療はないのだが、外来長だけは緊急患者が来れば病院から呼び出せるようになっていた。と言ってもこんなことは年間で数回である。
こうした仕事に上に、自分の研究、論文執筆、さらに学会雑誌の編集委員の仕事もあり、いつも家に帰るのが10時過ぎということが辞めるまで続いたが、開業すると、こうした経験が非常に役立った。特にグループ診療、外来長をして、開業前に数千例の症例を見ていたので、実際に40年間開業していたが、初めて診る症例は割合少なかった。

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