2012年5月27日日曜日

歯科卒後教育



 以前から日本の大学の歯科教育の効率の悪さを指摘してきた。矯正歯科について言えば、一人前の矯正医になるには、日本では歯科大学の6年間、研修医の1年間、そして大学院の4年間、その後、医局での2、3年間の計1314年かかることになる。アメリカの場合、一般大学に4年、その後歯科大学の4年、矯正歯科の大学院の3年の計11年である。ただアメリカの場合、一般大学を出て、歯科以外の職につくことも当然可能であるから、実質的な歯科の教育期間は歯科大学の4年、大学院の3年の計7年ということになる。実に日本の半分の期間である。

 それではアメリカの大学院卒業生と日本の大学院卒業生を比べると、どちらの方が知識も含めて臨床能力があるかと言えば、私の感覚からすれば、アメリカの学生の方が臨床能力は高い。ちょっと頭でっかちな面があるにしても実によく勉強しているし、治療に対する理解も深い。

 なぜこの差がでるかと言えば、教育スケジュールの差が圧倒的にアメリカの方が濃いからであろう。日本でも各大学の新人教育がなされてはいるが、はてアメリカ並みのカリキュラムかというと、とてもではないが、話にならない。今は少し変っているかもしれないが、月曜から金曜日までぎっしりとカリキュラムが組まれ、その間に患者の治療が入る。帰るのは深夜で、朝も早くから授業が組まれている。配当患者数も多く、講義と治療で非常に過密なスケジュールとなっている。それに比べると、日本での大学院は、新人教育係の教官がプロフィットなの教科書を使い、解剖、セファロの分析や矯正装置の製作などを教える。配当患者は少なく、一日に見る患者数は1,2名といったところか。それ以外の時間は、研究が主体となる。午後から基礎講座に行き、指導教官のもと大学院研究や、論文作成を行う。最近は論文投稿も英文であるため、基礎の研究室にいる時間も長い。
 
 弁護士の養成のために、日本でも法科大学院ができ、より実践的な教育がなされている。かって日本でも医科あるいは歯科、ともに専門学校であり、医者にあるいは、歯医者になるための教育を学校でしてきた。それがいつの間にか、理学部や工学部、他学部と同じ土俵の研究面で評価されるようになった。鹿児島大学でも助手以上の教官については、理学部、文学部など全学部の教官の業績、論文が載った本が出版され、論文を書かない、研究しない教官は必要ないとまでされた。また教授選考においては論文数、それもインパクトファクターという論文の質を重んじるようになり、いきおいインパクトファクターの高く、論文が量産でできる基礎研究が教室の研究主体となってきた。
 大学院の研究は、組織培養、遺伝子工学など最新のミクロの研究がメインになっているが、大学院生の多くは、学位取得後はこういった研究を捨てさるか、趣味で続ける。というのはこういった科学の先端的な研究は、その道の専門家がおり、すべての時間を割いて必死に研究しており、臨床をやりながらの研究は中途半端でしかない。歯科に関係する非常に狭い範囲を対象にしており、臨床に還元されることもなく、また世間との接点は少ない。ノーベル賞をとれるような研究はない。

 アメリカの歯科大学を卒業した時点でもらえる称号はDDS(Doctor of Dental Surgery)あるいはDMD(Doctor of Dental Medicine)であり、臨床教授でもPh.Dをもっていないひとは多く、Ph.Dをもつ歯科医は基礎の勉強もした学者と見なされるため、大学に残り教授を目指す場合、Ph.Dをとるようだ。このあたりがそもそも日米の大学院の違いで、アメリカでは臨床大学院といった存在で、一般歯科のさらに上の専門教育といった感じであるが、日本の大学院は純粋科学の大学院ということになろう。多くの歯学部の学生は、そもそも臨床を学びたいのであり、医局に入局するのに大学院に入らなくてはいけないというのは、こうした点でも矛盾している。

 変に他学部に対抗する必要もなく、医学部、歯学部とも、良質の医者を作るとういう専門学校としての性格を忘れてはいけない。ただ医学部においては、ここ10年急速に臨床を重視した卒後教育制度に移行しているが、歯学部は旧態依然としているのが残念である。

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