我が家は、長女が中学、次女が小学校に入学した時に建てたものだが、二人ともいなくなり、夫婦だけで生活するようになると、どうも勝手が悪い。将来的には夫婦とも歳をとるにつれ、益々使い勝手は悪くなるのであろう。といってこの歳で、新たな家を建てる費用もなく、何とか今の家で生活しなくてはいけないが、老後二人で暮らすならどんな家が理想的か、空想することは楽しい。
二人であれば、最小限の部屋で、できるだけ動く距離が短く、何でもできるのがいい。さらに寝室は寝るだけであり、できれば寝室の横に風呂と便所があるのがよかろう。当然、二階への上り下りは大変なので、平屋で、できるだけワンルームの形態が望ましい。
レマン湖のほとりにあるコルビジェが母のために建てた「母の家」(1925年)もなかなかよい。この家は18坪ながら、必要最小限の構成で、中にドアがほとんどない回遊性の設計のため、狭さは感じられないし、生活するには便利のように思える。何より細長い、建物の一辺がレマン湖に面しているため、そこからの眺めは格別である。レイアウト図を見ると、水回りは集中しているが、トイレの位置はベッドからはぐるっと廻ることになる。それとキッチンの位置はリビングダイニングから少し離れており、通常はキッチンの横で食べることになるだろう。老人が住む家のひとつの完成形がここにある。
コルビジェの「母の家」の現在版が、アアルト大学建築学部の提唱するLuukku Houseである(2010)。最新のテクノロジーを結集させたエコ建築で、床面積でわずか42平方メートル、13坪足らずの家である。この家のことは現在、青森県立美術館の「フィンランドのくらしとデザイン」で紹介されていた。全部白木でできており、デザイン的にもすばらしい。また太陽パネル、最新の断熱材、窓ガラス、給湯システムなど、出来るだけ、エネルギー効率のよい家を目指しており、ほとんどプレハブ工法で、作るのも簡単そうであるし、量産化されれば費用も安いであろう。ただ雪国、青森では耐久性がちょっときびしいかもしれない。(“luukuu house”で検索、Energy Efficient Solutions in HousingでPDFファイルに詳しく説明されています)
家内の旧実家は、築120年以上経つもので、曾祖父が大工をしていたので、中が作業場を兼ねた建物であった。玄関から家の真ん中を土間が走り、途中に井戸がある。この土間に沿って6つくらいの部屋があり、それぞれの部屋には囲炉裏がある。二階への階段は二ヶ所あり、部屋と部屋をつなぐ廊下はまるで橋のような構造であった。怖くて二階には登ったことはないが、トイレと風呂は土間を挟んであり、寒い冬はこの土間を通って便所に行くため、その寒さは思わず目が覚めてしまう。もっと昔は、便所が庭にあったようで、夜間は寒いため尿瓶でしていたようだ。窓の部分はガラスではなく、障子で、ほとんど外気との遮断がなく、ビニールで完全に覆っていた。各部屋はストーブがあったものの、隙間風で寒く、おそらく囲炉裏を使っていた時は、火元のみ暖かく、背中は寒かったのだろう。こういった家は、京風の和風建築を範としたもので、全く青森の冬の寒さを考慮していなかった。20年ほど前から、高気密住宅が普及してきて、我が家も窓ガラスはすべて2重、3重窓、断熱材もたっぷり入り、パネルヒータで全室暖かい。随分進歩し、快適な冬を過ごすことができる。
そういえば、アアルトが友人の作曲家コッコネンのために作ったVilla Kokkonen は私が最も好きな住宅のひとつで、家の写真を見ているだけで落ち着く。二つの棟が引っ付いており、ひとつは大きなピアノが置かれ、小さなコンサートができるようになっているが、もう一つの棟は住宅で、この部屋の配置が絶妙で、先に述べたLuukku houseにも通じる。冬が長く、寒いという点ではフィンランドと青森は似通っており、こういった生活に根ざした住み良い建築が青森からも発信してほしいものである。
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