2012年7月12日木曜日

阿部はな



 阿部はなについて、相変わらず調査しているが、全く情報がない。まず、弘前出身の可能性があるので、青山学院の院長であった阿部義宗の親類にそういった人物がいないか、知人を通じて調べてもらったが、返事はない。そこで亡くなった場所の、Oneida 郡、CamdenWestdalを探してみると、戸数20軒くらいの小さな村で、Googleのストリートビューでみても数件の農家があるだけであった。近隣の町として須藤かく、アデリン女史の住んだCamdenという人口2000人くらいの小さな町があり、ホームページもあったので、そこに不慣れな英文でメールを送ったが、ここでも返事はない。そこで今度はニューヨーク担当の日本領事館に問い合わせをしたところ、阿部はなの情報はなく、Ancestry.comといった人名検索HPで調べたらどうかと言われた。早速検索してみたところ、2、3の情報があった。1910年のFederal Censusにケルシー家、ケルシー・アデリン 1844年生まれ、66歳の同居人として、成田よそきち 1867年生まれ、43歳、1890年入国、須藤かく 1869年生まれ、41歳、1890年入国、阿部はな 1873年生まれ、37歳、1890年入国、成田こりき 1890年生まれ、20歳、1900年入国、成田ジーン 1895年生まれ、15歳、1900年入国、成田れん 1897年生まれ 13歳、1900年入国、成田すえ 1901年生まれ 9歳、1905年入国となっている。生誕地、父母の生まれ故郷はいずれも日本となっている。他には1895年当時のシンシナティーの住所が、283 7Th nr Smithとなっている。


 これまでの調査から、阿部はなは1864-69年の生まれで、横浜共立女学校に1879年ころに入学、1886年に卒業し、その後アデリン女史、須藤かくと一緒に渡米して、1893年にシンシナティー女子医学校に入学し、卒業後は、横浜で医療活動をしていたが、失意のままアメリカに帰り、オネイダ郡カムデンでケルシー女史の実家で暮らすことになる。1911年2月15日にカムデンの隣村、ウエストデールで亡くなる。推定43-47歳と思われる。
New York Genealogy Trails Deceased New York State Physicians 1804-1924には、次のように書かれている。

Abe, Hana
Died: Feb 15, 1911 in: Westdale, NY
Type of practice: Allopath
Journal of the American Medical Asociation citation: 56:1127


 また添付した上の記事は、Rome NY Roman Citizen1902-1903年のものであるが、病気で寝ているが、回復している旨を書かれており、こんなことが新聞で書かれるのは地元では結構有名だったと想像できる。

 
 二番目に記事はUtica NY Saturday Globe死亡記事であるが、ほとんど判読できない。取りあえず、わかる範囲で解釈すると、1911年の221日にWestdaleで、37歳(これもはっきり判読できないが)で亡くなったとしている。アメリカ入国時の年齢を須藤かく、阿部はなともに7,8歳ほど若く申告しているので死亡年齢は実年齢と違う。また出身地は横浜となっている。これが事実かどうかは確認できず、単に出身学校が横浜共立女学校だったから、こうなったかもしれない。敬虔なキリスト教徒で、住民からは慕われていたようだ。この新聞には阿部はなの写真も載っているが、画面が悪く、まったく判別できない。できれば原本をみたいものだ。山脇野枝さんの「神戸英和女学校第一期生阿部マサについて」という論文があり、共立女学校卒業後、長老派の医療伝道団の通訳をしていたとの記述がある。この阿部マサは秋田県の出身で、旧姓伊藤、同じ秋田の猪俣徳吉郎と結婚後に、徳吉郎が阿部家の養子となったため、阿部姓となる。阿部はなとはどうも直接関係ないようだが、交差するところが多い。


Dr. Hana Abe , Noted Japanese Woman Physician
Camden, Feb.21 The ? Japanese woman physician to die in New York state. Dr. Hana Abe was passed a way the other day at the age of 37? Westdale. In the northwestern church of Oneida county. She was born in Yokohama, educated in an American church school in that ? and ? medicine. Then she came to the United States and graduated from the ? ? ? ? of Philadelphia. And the medical College of Cincinnati ?? returned to Japan, where she ?five years staff of a charity hospital in Tokyo. In1907 she returned here and it was while ? at Westdale ?? for children of war? Family that she was ?? with consu?? And was powereless to throw it off. According here toward the la? was Dr.Kaku Sudo , another Japanese physician ,
Who had been a ??? friend of ?
Dr. Abe was a member of Presbyterian Church and the Christian ? Society and led the??? Of a follower of the ??? as an example of the Oriental Christian she was all that a good woman could be. She was buried with Presbyterian member and ? in West Camden.


 須藤かくは、102歳まで長生きし、妹の家族とも生活を一緒にでき、それなりに幸せだったと思うし、日本での縁故関係も判明している。ところが阿部はなについては英文のみの情報だけで日本での情報はほとんどない。そのため、その縁者が日本に仮にいても、阿部はなのことを思い出すこともなかろうし、完全に忘れられているだろう。何とか、少なくとも出身地がわかれば、もう少し、たどって行けるのだが、残念である。もし横浜が出身だとすれば、その方面から調査しなくてはいけないが、読者の情報に期待したい。

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