2013年12月14日土曜日

妻と飛んだ特攻兵


 長い間、学会の査読委員をしていたので、どうも論文を読む場合は、批判的に読む癖がある。医療論文については、緒言、方法、結果、考察、参考文献という構成となり、緒言では、どういう理由でこの仕事を始めたかということが書かれる。そして多くの研究では、キイ論文というべきものがあり、これに続く論文は、このキイ論文の追試あるいは発展となる。全く新しい概念がでると、まず追試が試みられ、それによりある程度、事実であることがわかると、その概念を基に新たな研究がなされる。多くの場合、問題となるのが“方法”で、客観的に妥当性があるか、資料数が十分であるかが問われる。“結論”ではバイアスがかかっていないか、飛躍していないか。そして“考察”、“参考文献”では論理の破綻がないか、必要な文献が引用されているかが調べられる。

 一般書では、こういった検討は基本的にはしないが、「妻と飛んだ特攻兵」(豊田正義著、 角川書店、2013)を読んでいると、どうも昔、同じ話を聞いたことがある。気持ちが悪いが、しばらくそのままにしていた。先日、本棚を片付けていると、「津軽異聞」(吉村和夫著、北方新社、1996)がでてきて、その最後に「夫婦特攻」という章があり、これが「妻と飛んだ特攻兵」と完全にだぶっている。本書は津軽の珍事録、風俗あれこれ、津軽十二支物語など、郷土史、民俗学の分野の本で、まさか本のタイトルとは関係ない「夫婦特攻」が入っているとは思わない。豊田正義さんも優れたノンフィクション作家であるが、論文でいうところのキイ論文を見逃したことになる。吉村氏は平成12年に亡くなっているが、もし生きていれば、豊田氏が「Friday」で夫婦特攻が連載された時点で、知らせたのに違いない。その場合、豊田氏が出版するとすれば、新たな情報を付け加えたものでなくては、出版する意義が薄れる。

 「妻と飛んだ特攻兵」は主人公の谷藤少尉が特攻へ至った時代背景を説明するために本の半分近くを戦史の記述に割かれているが、谷藤少尉のことのみ「津軽異聞」と比較すると、1996年では、谷藤少尉の弟の勝夫氏、大虎山飛行駐屯隊の蓑輪隊長、錦州飛行場の野村中隊長、東京の北村少尉、腰塚少尉他多くの戦友、知人が当時はまだ生きており、その証言を記載しているが、2013になると腰塚、小出氏など存命者も少なくなり、記述も二次的な記録を基にしたものとなっている。

 こういったことを加味して査読すると、「妻と飛んだ特攻兵」は、緒言の段階で、「津軽異聞」の記事を取り上げなかったことで、判定Dの掲載不可(Reject)あるいはCの大幅な変更となる。

 ついでに言うと、さらにひどい本は、「跳べ! 世界へーエアラインから国連、国際NGOへー」(佐藤真由美、解放出版社)で、毎日新聞の全国版で著者のインタビュー記事があり、実家が板柳出身ということで早速、読んだ。母親が戦前、東京帝国大学医学部を出て、軍医となり、東ドイツ、北京大学の教官となり、著者も青森高校から東北大学医学部を中退し、アメリカの有名大学を出たようだ。古い東奥年鑑を見ても、板柳には母親に該当する医者はおらず、著者の履歴もかなりあやしい。勤務していた国連の国際開発計画(UNDP)にも問い合わせたが、個人情報保護から返事はない。母の婚約者の軍医が山本五十六大将搭乗機に同乗し、戦死し、もう一人の友人の軍医が500km離れたラバウルからこれを目撃した、20歳代で剣道7段など、でたらめな記述が多い。こういったこともあり、地元新聞社から著者についての問い合わせがあったが、やめた方がよいと助言した。従軍慰安婦問題でいつも問題となる吉田清治氏に近い匂いがする。

PS: 遺族の方よりコメントいただき、反省しています。豊田氏の真摯な取材態度を誤解しておりました。「津軽異聞」という本は、私も利用した北方新社という小さな出版社から出され、おそらく出版部数も1000冊程度です。ほとんどの人は読めない本です。それに比べて「妻と飛んだ特攻兵」は角川出版という大手出版社から発刊され、これにより多くの人々に谷藤少尉の義挙が知れたことが大事なことです。遺族、関係者にとっては、意義深いものでしょう。ブログ自体を削除しようと思いましたが、それも卑怯ですので、そのまま載せます。


3 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

はじめまして私はこの『妻と飛んだ特攻兵』に書かれている遺族(谷藤徹夫の妹:泰子の三女:ひろみ)の夫にあたる金子公宣という者です。

まず、この欄に投稿した経緯ですが、遺族のひとり谷藤徹夫の妹:泰子の長女:真知子から「思い違いをなさっている方いる」との連絡が来ました。

「津軽異聞」を入手し読んでからとも考えましたが、まずは異なるところの訂正をと思い投稿にいたった次第です。

まず、過去の取材の話ですが、昭和42年以降のシベリア抑留帰還兵の話(伝え聞き)以外では、地元のデーリー東北、東奥日報(葛西富夫・県教育センター指導主事)やRABラジオ局(三浦明子ディレクター)などが谷藤徹夫の弟:勝夫(元むつ市議会議員)への取材はありましたが、この度の豊田正義氏ほど遺族や関係者への徹底した聞き取り調査をしてくださった方は今までいなかった、ということです。

また豊田氏は生前の越塚守正少尉や今までの流れを見守ってくれていた世田谷観音の太田賢照住職とも幾度も会い取材されていました。

それより遺族が驚いた事は谷藤徹夫の妻:朝子に関して直系の親戚である谷藤家、吉田家とも詳しい事はあまり知りませんでした。
一時期、徹夫の弟である勝夫が朝子の母親・中島豊之と連絡は取り生活の援助もしていたようですが、その出生出自の詳細までは知りませんでした。

しかし、豊田氏の取材により九州・唐津のかなり詳しい住所や生い立ち、後年暮らした教会、最後を看取った方や様子まで知ることが出来ました。

この『妻と飛んだ特攻兵』の出版にあたり谷藤本家にあり遺族も初めて見る写真や本人のメモ、書類、数多くの手紙など大量の資料を提供いたしました。

最後に云わせてもらいたいことは遺族が出版を大変喜んでいる事と靖国神社崇敬奉賛会会員の関係者、特に特攻隊戦没者慰霊顕彰会・特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会の方々がこの作品を「待ちに待っていた」事を知っておいて頂きたい。

私自身も靖国神社崇敬奉賛会会員、日本会議会員であります。

広瀬寿秀 さんのコメント...

ご遺族の心中、状況も察せず、今回は誠に失礼な文章を載せて、本当に申し訳ございません。こうした本は、是非とも出版しなくてはいけないものですし、豊田氏の真摯な取材についても、金子様のコメントでよく理解いたしました。重ねてお詫びします。ただ「津軽異聞」を一度、お読みいただければわかりますが、谷藤少尉らの義挙そのものについては、すでに17年前に吉村氏により、くわしく報道されています。プロの作家としては、少なくとも参考文献に載せるのが筋ではないかと思った次第です。ただ、よく考えると、「津軽異聞」は部数1000冊足らずの地方出版の書物で、ごく一部の人しか読めないものです。そうした意味で豊田氏の著書は、全国的に谷藤少尉らの義挙を知らしめた意味は非常に大きいと思います。青森県には「俺は満州国が好きで、この辺で日本人が一人くらい死んでおくこともよいことだ」と、満州国崩壊に際して、夫人、二人の令嬢とともに自決した岸田隆一郎さんもいますが、この人もまた知られていません。

Unknown さんのコメント...

広瀬 様
真摯なご対応に感謝しております。

「津軽異聞」を尚更、読んでみたくなりました。

豊田氏は「津軽異聞」の存在を知らなかったと思われます。
かように考えた場合、史実を丹念に追求した場合、内容が重なるという事なんでしょう。
重ねて言えば吉村氏・豊田氏ともに優秀な作家である事の証明だと云えますよね。

ありがとうございました。