私たちの世代が中学になって最初に習ったのは“This is a pen”、”Car”、”
Cat”、“Dog”などの言葉でした。今では日常語の中に多くの英語が入っており、カー=自動車というのは英語を習わなくなっても、知っている言葉です。最近ではinformation、consumer、stock、booking, reservation、cancelなど難しい言葉も日本語に入ってきています。こういった点では、昔の中学1年生はほぼ白紙の状態から英語を学びましたが、今の子供達は日本語に多くの英語が入っているので、ある程度のレベルからのスタートとなっています(レベル、スタートという言葉も昔は中学校に入ってから初めて聞いた言葉です)。
そういえば、昔、英語がぺらぺらだといわれた人でも今から考えると、とんでもない日本人英語発音でした。今であれば、あれくらいしゃべれる人はざらにいると思います。日本人の英語をずいぶん、上達したと思います。それでは、大学入試の英語のテストは昔より難しくなったかと言うと、決してそうではなく、レベルはそんなに変わっていないようです。また外国人から道を尋ねられても、何も言えず、もじもじする人は多いようです。
ひとつは大学入試の英語の試験は、読解力、文法を中心としたもので、会話能力を問うものではないからでしょう。問題にでる文章は一流の記者や文筆家が書いたもので、これも日常の会話と異なります。昔、アメリカのボストンからの交換留学生(高校二年生)を4ヶ月ほど預かりました。学校から英語の宿題(未来完了型)をもらってきましたが、全くわからず、“Crazy! Crazy!”とうちの娘に答えを聞いていました。アメリカ人にもわからない英語という、大学受験用英語の典型なのでしょう。
小学校から英語を習うような時代となり、文科省も国際人を作ろう、英語を話せる人材を作ろうと懸命です。ただ英語は一歩、一歩上がる階段のようなもので、学ぶ意識がなければ、落ちこぼれてしまいます。中学一年生でついていけないと中学二年生、三年生とどんどんついていけなくなります。わからなければ元に戻る必要があります。小学生から英語を習う時代になりましたが、結局は落ちこぼれを増やすだけになるかもしれません。
台湾に行くと年配の方はほとんど日本語が流暢です。これは初等教育で徹底的に日本語を習わせたせいでしょう。またシンガポール、マレーシアの人も英語がうまい人が多いようですが、これも、授業、あるいは教科書が英語であるからのようで、そういった意味では、日本語を捨てなければ、英語は上達しないことになるようです。果たしてこれがいいのか疑問で、はっきりいって英語を好きなひとが学べばよいわけで、みんなが英語をしゃべれるようにするのが国際化というのは勘違いでしょう。
最新のMac OS X(9.21)の読み上げ機能など、すごいもので、ほとんどの文章を間違いなく読み上げてくれます。まちがいなく、あと10年もすれば、聞く、話すことができる通訳機が開発されるでしょう。英語から日本語、中国語から日本語、その逆も、ウェアラブルタイプの端末機で、イヤホーンとマイクを介して自由にしゃべれる、聞くことができるようになるでしょう。そうした場合の英語教育も考えておく必要があるかもしれません。
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