2015年3月23日月曜日

宮本輝「花の回廊」を歩く1





 宮本輝「花の回廊 流転の海 第五部」(2007、新潮社)の舞台は、私の生まれ故郷、尼崎市東難波町のすぐ近所で馴染みのある場所である。帰省の折、その舞台となった場所を散歩してみたが、昔の面影は全くない。ほとんどの建物が新しくなり、ここが昔はこうだったと説明してもなかなか実感はわからないと思うが、少し説明したい。

1.    蘭月ビル
「穴だらけの雨樋からの錆と、煤煙混じりの塵埃とで汚れたモルタル壁に「蘭月ビル」と赤いペンキで大きく書かれていても、その中身は迷路とおぼしき構造の木造アパートであった。(省略)三人で阪神バスに乗って、国道二号線に面した尼崎市の東難波という停留所で降りた。停留所は蘭月ビルの南側のちょうど前にある。「ここは貧民の巣窟じゃ。病気の巣窟じゃあらせんようじぇけん心配せんでもええ。住めば都っう言葉もあるぞ」と熊吾は笑顔で言ったが、伸仁はバス停の前から動こうとしなかった。昭和32年の三月の半ばである」

 冒頭の部分である。ひどい書かれようである。尼崎松竹の横に汚いアパートがあったような気がする。この映画館は子供向けの上映がなかったため、子供の時はほとんど行ったことはなく、怪獣、若大将シリーズの尼崎東宝、洋画の東洋劇場、OS劇場がメインであった。高校生になると、正月、どこも休みのため、しかたなく親父と「男はつらいよ」シリーズをこの映画館で見た。現在は映画館もなくなり、蘭月ビルの跡地は駐車場となっている。国道からは阪神線と併行してバス路線と路面電車(阪神国道線)があり、その停車所は、ちょうど蘭月ビルの前にあった。

「蘭月ビルの北側のタネの住まいの前には、車が一台通れるほどの裏道に沿って、油膜に覆われた泥溝が流れていて、その泥溝をまたぐと有刺鉄線を四方に張りめぐらした工務店の資材置き場だった。だが置かれている資材はほんの少しで、そこには近所の子供達の遊び場と化していて、数人の子供たちが竹棒をバット代わりに野球をしたり、「缶蹴り」に興じていた」

 この空き地は若干記憶にあるが、ここらは在日の家が多く、自分たちの縄張りでなかったせいか、ほとんど行ったことはなかった。私の遊び場は家の近くの旭硝子の社宅の路地、その奥の空き地であった。子供達は空き地で缶蹴りをするよりは路地での遊び、ベッタン、ビー玉、コマに熱中した。道はまだ舗装されておらず、さざえさん、ケンパ、鬼ごっこなどを土に石で書いて遊んだ。蘭月ビル近くの繁益歯科には友人がいて、数度行ったが、二軒隣には朝銀信用組合があった。確かに裏道沿いには小さなお好み屋があり、酒なども出していた。今はラブホテルが立っているが、ここらには多くの小さな金属加工工場があり、工場帰りの工員は酒屋のカウンターや酒場で飲んでいた。

伸仁が初めて夕刊を近所に売りに行く場面があり、なかなか売れない。
「どこかの居酒屋では、うるさがれてコップ酒を浴びせられ、別の屋台では共産党員らしい男に資本主義の誤謬について延々と講釈され、路地裏のバーでは南京豆の殻を投げつけられ、暗がりの立ったまま客を取っている娼婦に「夕刊、いかがですか」と声をかけて蹴り飛ばされ、おでん屋では不機嫌な老人に何度も酌をさせられ」と小学五年生の男の子に対してはあまりの仕打ちである。

 蘭月ビルの前に国道を渡ると、そこは飲屋街で、パチンコ屋があり、昔はキャバレーがたくさんあった。幼稚園の友人、大谷くんの家がやっていた百万弗が最も有名なキャバレーだった。三和商店街までがずっと飲食店、酒場が続き、夜になると酔っぱらいばかりで、しょっちゅう喧嘩があった。子供のときは通るのが怖かった。親父の本拠地で、それこそ毎晩ここに通った。おやじと一緒に歩くと、ほうぼうからホステスさんから声を掛けられ、恥ずかしい思いがした。患者さんで診療所に来ると、無料でみたりしていた。

 写真上、マンションの隣の駐車場が蘭月ビルのあったところだが、全部ではなく、この右部分あたりとなる。写真中1は裏通りで、自動販売機があるあたりにお好み屋があり、前は空き地であった。写真中2のように周囲はラブホテルが乱立している。子供を育てるにはあまりいい環境ではない。一番下の写真は貴重な写真である。昭和45年当時の阪神国道線、東難波付近の写真で、右の映画館が尼崎松竹で、その隣の蘭月ビルはすでになく、駐車場らしきものとなっている(消えた車輛写真館/鉄道ホビダスより)。ちなみに私の実家は尼崎市東難波町4丁目で、蘭月ビルは東難波町5丁目である。

1 件のコメント:

ねこ吉 さんのコメント...

広瀬様

現在「花の回廊」を図書館で借りて読んでいますが、なかなか読み進みません。

浜ちゃんの映画館を探す番組、ねこ吉も見ました。
広瀬様のブログの地図を参考に、次の尼崎に行ったときには、自分の判る範囲で探してみようと思います。
中1の夏、尼崎OS劇場で観た「王様と私」「サウンドミュージック」の2本立てが最高に嬉しかったです。