2015年3月7日土曜日

日韓唱歌の源流









 少し古い本だが、安田寛先生の「すると彼らは新しい歌をうたった 日韓唱歌の源流」(音楽之友、1999)は、本当におもしろく、一気に読んでしまった。北朝鮮の革命歌、「反日戦歌、朝鮮人民革命軍」のメロディーは、日本の軍歌、「日本海軍」と全く同じという前書きには、笑ってしまった。この歌は、金日成が1934年、反日ゲリラ隊を朝鮮人民革命軍に編成された時に作られたとされ、「とうとうと流れる旋律は歌詞の内容に反映された思想感情を音楽的情緒的に見事に表現している」としている。実は、この曲は小山作之助が明治37年に作曲した「日本海軍」とまったく同じメロディーで、内容は正反対となる。他にも、「旋律が親しみを感じさせ、(朝鮮)民衆が好む民謡のような歌詞である」とする「十進歌」のオリジナルは日本の「かぞえ歌」、「立ち上がれ無産大衆」は「鉄道唱歌」、「メーデー歌」は「アムール川の流血や」、「遊撃隊行進曲」は「ハイカラ節」、「女性の歌」、「不平等歌」、「追悼歌」は、オリジナルは明治31年ころにはやった演歌「小川少尉の歌」、「松の声」となっている。この「小川少尉の歌」のさらにルーツは、江戸を中心に流行した越後節という瞽女歌の影響を受けた「わらべ唄」につながる。さらに韓国の最近の「遊戯唱歌集」の中にも、「汽車」(いまはやまなか)、「おもちゃのマーチ」、「あめふり」、「夕焼け小焼け」、「うさぎのダンス」など多くの日本唱歌が自国の歌として入っている。

 ここまでは、昨今の嫌韓の人々からちゃかされる事実であるが、この本ではさらに日本音楽のルーツに迫っており、その迫り方は推理小説を読むようで面白い。

 もともと日本人には人前で唱うという習慣はなかった。明治になり、この日本人に初めて唱うという行為を普及させたのは、外国人宣教師による讃美歌であった。これは朝鮮でも同じであった。譜面をみて、オルガンの音に合わせて、教会、キリスト教系学校で生徒に教えられた。ところが面白いことに全く唱うことがない日本人にはどうも、得意でない音がある。西洋の音階ではドレミファソラシの七音があるが、このファ、シの二音がどうも苦手で音程が崩れる。ところがそれ以外の五音で構成された讃美歌をうまいのである。「五音音階でできた歌だと日本人は音痴にならない」ということで、次第に讃美歌集は五音音階の歌が多くなる。

 さらに日本の唱歌の元となった「小学唱歌集初編」(1880)の成立とお雇い外国人、ルーサー.ホワイトティング・メーソンの関係にふれ、このドイツ人とアメリカの宣教団体の思惑を取り上げた。唱歌集の出典は、その半分がメーソンの故郷、ドイツ民謡で、残りの半分は讃美歌であった。宗教色は隠されて導入された。この日本唱歌は、その後、日本にいた中国人留学生により中国に導入され、また朝鮮併合に伴って、今の北朝鮮、韓国に普及していった。すなわち、朝鮮、日本、中国とも、西洋音楽のルーツは、ほとんどメーソンの唱歌集に行きつくのである。軍歌もこれらの唱歌に影響され、五音音階で作曲された軍歌は日清、日露戦争を通じて日本人の圧倒的な人気を得た。朝鮮では日本軍軍楽隊が朝鮮国内で軍歌を演奏したため、これを聞いた朝鮮の人々はそのメロディーに自然に親しみ、それが今日の抗日歌謡、独立歌謡として生き残り、今ではそのオリジナルがわからなくなっている。

 越後民謡から発生した瞽女歌のメロディーは、津軽じょんがる節、沖縄民謡「十九の春」とつながって行くが、一方、小川少尉の歌、松の声、ラッパ節、そして北朝鮮の「女性の歌」、「不平等歌」といった流れを見ていくと、単なるパクリといった範疇にとどまらず、メロディーの持つ普遍的な心の伝播、忘れられない響きというものは東アジアの共通の深い共感を呼ぶものであり、ひいては民族的な同一性まで想像してしまうものである。音楽の持つ根源的なあやしさを確認するいい機会であった。

「可愛いスーチャン」、「ネリカン(練鑑)ブルース」も完全に「小川少尉の歌」、「ラッパ節」にラインに繋がるもので、「不平等歌」によう似た曲をドリフかクレージキャッツが歌っていたようだが、わからない。

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