森信三は明治29年生まれの教育者、哲学者で、今でもその教育観、思想に共鳴する教師は多い。弘前ロータリークラブの例会に出席していると、毎年、一回、「抜萃のつづり」という小冊をいただく。これは株式会社、熊平製作所の創業者、熊平源蔵(明治14年—昭和53年)が、創刊した雑誌で、新聞、雑誌、書籍から選んだ珠玉のエッセー、コラムをまとめたものである。昭和六年から始められ、現在、発行部数は四十五万部、世界中の日本大使館、領事館、金融機関、図書館、ロータリークラブに配布している。銀行や図書館など、どこかで見てことがあるかもしれない。泣ける文や、感銘する文もあって、いつも楽しみにしている。最新号の「その七十四」を読んでいると、帆足行寿さんの「実践の人」(NPO法人福岡実践人顧問・到知「到知随想」26年6月号)というエッセーが面白かった。著者の帆足(ほあし ゆくとし)さんは、現在、83歳で、これまで福岡県で長く教育関係の仕事をされた方で、昭和53年、福岡の教育委員会の指導主事を勤めていた時に、たまたま福岡の仁愛保育園で母親を対象にした森信三先生の講義を聞いた。
その講義では、森先生は「呼ばれたら大きな声で“はい”と返事をしましょう。“はい”という返事が人間の我を断つのです」、「腰骨を立てましょう。腰骨イコール主体で、腰骨を立てない限り真の人間にはなれません」、「しつけの三大原則というものがあります。一。朝のあいさつをする子、二、「ハイ」とはっきり返事のできる子に、三、席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に」といった当たり前のことが話され、その後、帆足さんは次第に先生の教えに傾倒され、森先生の全集二十五巻を大枚四十万円で買い求め、何度も読み返した。帆足さんが校長を勤めた学校は、生徒の半数が遅刻し、教師まで遅刻するという荒れた学校であったが、森先生に倣い、指導めいたことは一切せず、まず朝早く登校すると校長室掃除を行った。さらに隣の事務室、保健室と掃除場所を拡大していくと、手伝いをする教師も現れ、結局、1か月のたたないうちに学校の規則は取り戻した。
早速、私も近くの書店で森信三先生の著書を探したところ、「修身教授録」(到知出版社)という本があったので、買って読んでみた。この本は、昭和12年3月から2年間にわたる大阪天王寺師範学校本科での修身の講義録である.自分の講義を生徒に写させたもので、その内容はあたかも生徒として聞いたそのものが本になっている。実に感銘深い内容で、当時、森先生は42歳で、今の感覚からすれば随分若いが、その内容は老成しており、格調が高い。なぜ教師になったのか、教師の使命は、責任は、生徒を追いつめるような質問をして、その問いに自らの経験と考えを淡々と述べるが、聴講している生徒からすれば、一生忘れぬ、身が引き締まる講義であったろう。講義タイトルだけ挙げても、「人間と生まれて」、「生をこの国土にうけて」、「生を教育に求めて」、「教育者の道」、「人生の始終」、「志学」、「学問・修養の目標」、「読書」、「尚友」、「人と禽獣と異なるゆえん」、「捨欲即大欲」など格調高く、仏教、漢文、欧米思想、哲学などを引用して平易な言葉で濃い内容を伝えている。
昨今、文科省でも道徳、修身教育が重視されていて、週一回はきちんとした授業が行われるようになった。ただ生徒の心の中にまっすぐに響くような言葉で語れる教師は本当に少ないし、単に教科書を使って勉強させるものではなく、教師自身の覚悟、人生観が試される場所である。できれば、校長自らがその教師人生の集大成として自ら授業をするものであろう。
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