2015年3月9日月曜日

未来社会




 子供の頃、アニメの「鉄腕アトム」を見る度に、21世紀になれば、車は空中を飛び、あんな人工ロボットが生まれるとばかり思っていた。人類は月のみならず、火星、さらには違う惑星にまで進出し、僕らも手軽に宇宙にいけるものとワクワクしていた。ところが「2001年宇宙の旅」を見たころからか、そういえばもうすぐ2001年になるが、どうも映画のようにはならないという現実に気づき始めた。

 小松左京さんの傑作SF「果てしなき流れの果に」(ハルキ文庫、1965)の中では、21世紀はじめには核兵器の全面廃棄、全面軍縮に続き、2010年には地球総生産の計画統一配分機構、宇宙開発の本格開始が始まり、21世紀の半ばには世界連邦、外惑星への脱出となっているが、これはほぼ不可能であろう。未来予測はことごとく外れ、現実の世界の発展は空想とは違い、ゆっくりしている。

 この一番の理由は、技術のブレークスルーは必ず、どこかで停滞する。例えば、ライト兄弟により実用化された飛行機は第一次大戦、第二次大戦を通じて驚くべき発展を遂げた。ライト兄弟の初飛行は1903年であるから、わずか40年の年月である。ところがその後、ジェット機が登場すると、飛行機はあっというまになくなってしまった。未だにアメリカの飛行機ショーでは大戦時の戦闘機が現役で、飛行機自体の進歩はここ70年ほとんどない。これはジェット機についても当てはまり、最新型の三菱のMRJもボーイング707(初飛行1958年)と構造的には変わらない。通常の進化を考えると、コンコルド路線の先、すなわち日米を1時間で飛行する超高速機に実用化になっていないとおかしいが、そうはなっていない。さらにひどいのは船舶分野で、基本形はタイタニック号の頃からここ100年ほとんど進化していない。スピードも変化していない。

 ここ40年の最大のブレークスルーと言えば、パソコンとインターネットであることは間違いないが、それさえも1980年からの20年間の発展に比べると、最近は鈍化してきている。感覚的には以前は2、3年で技術が陳腐化していたが、そのスパンは5、6年になったようである。それほど次々とパソコンを変える必要もなくなってきている。

 こういったことを考えると、30年後の世界は今とそれほど変わらないというのが、一番妥当な未来予想となろう。自動車の自動運転、無人化が普及しても、クラシックカーが好きなひともいるし、インターネットの生活への浸透は今以上になろうが、基本はそれほど変わらず、スタートレックに出るような転送装置で、注文したものが即時に送られることもない。本、映画、テレビがなくなることはなく、今より少しだけ便利な生活がそこにあるだけであろう。

 これが100年後となるとどうかというと、今から100年前、つまり大正四年の生活を考えればよい。関東大震災前の生活、多少の不便はあるにしろ、現代人が生活できない状況ではなく、基本的な生き方はそう変わっていない。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの電化製品や携帯電話はないが、映画、落語、歌謡などの娯楽、鉄道、バス、船もあった。

 おそらくは携帯電話の進歩もそろそろ停滞するが、今後のブレークスルーと言えば、がんの撲滅と自動翻訳機くらいであるが、前者が仮に達成されても、100年前の結核が今や撲滅できても、新たながんという病気がおこったように、寿命はどこかで決まるであろうし、自動翻訳機については電卓がそろばんを駆逐したように、語学教育を減らすが、それで人々が簡単に国際化するわけでもない。商品の注文も、バーチャル店舗で店員と相談しながら決め、3Dプリンターで印刷された物で試着して、注文することになる。それでもスタートレックのような機能一辺倒のジャージのようなものにはならず、逆に日本の着物が着られたりするかも。

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