2015年7月10日金曜日

「緑十字機の記録 戦争を、一日も早く終わらせるために」





 先日、静岡の岡部英一さんから著書「緑十字機の記録 戦争を、一日も早く終わらせるために」(平成27年8月、大進堂、自費出版)をいただいた。“緑十字機”というと、軍事物に詳しい方なら、終戦直後、マッカーサーの命令で、降伏軍使を乗せて、木更津航空基地から、沖縄の伊江島に向かった飛行機を思い出そう。識別のために機体は白く塗られ、日の丸の代わりに緑色の十字が描かれた。

 私自身、緑十字機については、単なる終戦直後の秘話の一つと考えていたが、こうした詳細な研究を読むと、日本の将来を左右する重要なミッションであることがよくわかった。あくまで日本の終戦を認めない厚木航空隊の妨害、一号機の不可思議な燃料不足など、一歩間違えると、失敗する公算も大きく、後世からみると、あらためて間一髪の成功であったことが実感できる。もしこのミッションが成功しなければ、本書でも指摘されているように、第三の原爆が使われていた可能性もあった。また、戦後の米国の占領政策も変わり、今の日本とは違った可能性もあり、背筋が凍る思いがした。そうした点では、このミッションは非常に重要な意味をもち、岡部さんが戦後60年の節目に、こうした労作を出したことは意義深い。

 岡部さんは、日本大戦機の構造について詳しく、緑十字機の不可解な不時着、その原因とし燃料不足について、この本では詳細な検証がなされていて、興味深かった。使用された一式陸攻の初期型を改良した輸送機(G6M1-L2)のガソリン積載量、飛行に必要な消費量などの緻密な計算から、伊江島でガソリンの給油があれば、磐田市鮫島海岸に不時着することはなく、何らかの意図的な妨害工作があったことを示唆している。また2号機の搭乗員は副操縦士のいない変則的な5名であったが、これについては、1号機のバランスから輸送隊長の大尉の同乗を願ったが断わられ、下士官らが意地になって5名で出発したという。搭乗予定機は出発の前日、午前中の試験飛行時に、降伏機を撃墜しようとして哨戒していた厚木基地の戦闘機に攻撃され、機体に多数の銃撃を受けた。こうした状況を知る、あるいは実際に搭乗していた輸送特務大尉とすれば長年、生き長らえたのに、戦争が終わってから味方に撃たれて犬死はしたくないといく気持ちが強く、搭乗を拒否したのだろう。自分に当てはめても、そうするだろうし、責められない。それでもこうした最後のケジメとしてのミッションで、士官学校出のパイロットが一人も参加していないのは残念なことである。

 戦後60年。もはや戦争を知る世代はほとんどいなくなった。緑十字機にしても断片的な記述があっても、これまでこうしてまとまった、内容の濃い本はなく、そうした意味でも、本書は貴重な記録となろう。できたら、自費出版ではなく、潮出版など全国的な出版社から発刊し、もっと多くの読者が読めればと願ってやまない。


1 件のコメント:

星野 さんのコメント...

私も広瀬さんと同感です。