ブラタモリという番組は好きで、よく見ている。番組は、ほとんど打ち合わせなしでやっており、タモリさんのオタク的知識が随所に出て、笑える。長崎、函館、金沢、鎌倉、福岡、仙台、奈良、松江、富士山などを、これまでとは違った切り口で扱っていて、どれも面白い。
いつか弘前にも来てほしいと思い、勝手に企画する。切り口としては、弘前のユニークな点、これは地元民にもわかっていないことを取り上げたい。
1.
弘前はハイカラ
函館、神戸、横浜などは幕末、開港地として、多くの外国人が来て、国際都市としての歴史を持つ。全国的にもハイカラな街としてよく知られている。弘前もハイカラな街と言われると、地元民も多分、知らないであろう。
まず案内するのは、大手門広場の旧東奥義塾外国人教師館、そこで幕末に弘前藩士が水腫病に効果があるとして飲んだ“藩士の珈琲”を飲みながら、弘前からアメリカに留学したもの20人以上、逆にアメリカから日本に来た教師が20名以上など、主として東奥義塾とアメリカとの関連を説明する。続いて、在府町の弘前こぎん研究所に案内し、著名な建築家、フランスのコルビジェと前川國男の関係を説明する。昭和7年の建物だと知り、驚く。さらに弘前教会、弘前昇天教会、最勝寺のキリスト教徒墓地に向かい、キリスト教が早くから町にとけ込んだ状況を説明する。お寺に墓地にキリスト教徒の墓があることは珍しい。さらに新寺町の貞昌寺の孫文、蒋介石の碑を案内する。なぜこんなところに、こうした碑があるかを、山田兄弟、菊池良一、櫛引武四郎と中国の関係から説明する。リンゴの季節なら、リンゴ公園に行き、明治二年弘前絵図から、すり鉢山の言われを説明する。またリンゴシードルの発祥地として吉井レンガ倉庫を紹介してもよい。
2.
城だけではない、町が敵を防ぐ
敵からの侵略に対して、城としても守りは、どこの城でも見受けられ、珍しくはない。ただ街自体の守りとなると、空襲、火事、都市計画で街そのものが変わっているので、その痕跡を探すのは難しい。弘前は空襲、大きな都市計画がなく、江戸時代の区画がそのまま残っているので、江戸時代の防御のための町づくりを知ることができる。
枡形と呼ばれる四角の広場に道が一方にあり、敵からの侵入を遅らせるところが、冨田と紺屋町にある。明治二年弘前絵図を見ながら、その痕跡を調べる。また道が直進しなくて折れ曲がっている箇所なども合わせて紹介する。禅林街については、その構造が第二の城郭となっていることを土塁に登って紹介する。同時に弘前で一番高い地点である。森町の時鐘堂にあった場所に案内する。また弘前工業高校からかっての西坂跡を確認する。さらに新寺構や南溜池についても、その地形から説明していく。
地形オタクのタモリさんからすれば、2案の方がいいかもしれない。
2 件のコメント:
いいですね、ブラたもり。たまに見てますよ。あと吉田類の酒場放浪記も見てます。弘前の酒蔵巡りもよいと思います。玉田酒造や松緑、豊盃などいきながら津軽の地酒を紹介してみてはいかがでしょう。
酒場放浪記では、以前、プラザホテル前の土紋や親方町の鳥ふじなどが紹介されていました。酒造巡りもいいですね。弘前市で大人のための社会科見学という行事があり、三浦酒造や吉井酒造レンガ倉庫、さらには黒石の鳴海醸造などを見学しましたが、おもしろかったです。
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