2016年5月7日土曜日

子ども食堂 青森






 青森県で初めての“子ども食堂”が弘前市に開設された。両親の共稼ぎや、一人親家庭の増加に伴い、夕食を一人でとる子供達が増えており、少しでもみんな一緒に家庭料理を食べてもらおうとして始められた試みで、こうした運動は全国的に広がっている。以前に比べて、日本でも離婚家庭は増加しており、なかんずく母子家庭では貧困率が高く、コンビニで買ったおにぎりやパンなどを夕食として食べている子ども達がいる。母親の無責任として片付けられるものではなく、またそのまま放置してよいものではなく、こうした試みがもっと広がっていけばよい。

 小学校4年生ころだったが、友人のSくんのところによく遊びに行った。Sくんの家は母と息子、二人暮らしの母子家庭で、6畳と台所の小さなアパートに住んでいた。お母さんは水商売をしていた関係で、遊びに行く4時ころになると、シミーズのまま化粧をし、夜の仕事の準備をし始める。それを見ながら、二人で部屋の中で遊んでいると、夕食はちゃぶ台の上にある焼き鳥を食べてて“と言って、派手な衣装を着て、でかけた。お母さんは家計のため、朝から近所の焼き鳥の串刺しの工場に勤めていて、焼き鳥はそこで余ったものだった。焼き鳥は20本くらいあり、お母さんが出かけた後、それを僕とSくんで食べたが、最初はうまいと思ったものの、すぐに飽きた。毎日、毎日、これじゃきついなあ。毎日の生活が大変だったのだろう。Sくんもそれがわかっていたので、こうした夕食にも耐えたのだろうが、遠足などで弁当がいる時に、母親が忙しく弁当がないのは、きびしかったと話してくれた。幸い、そうした際には担任の先生が内緒で弁当を作ってくれ、このことをいつも感謝していた。Sくんはもともと頭が良い子で、この担任の先生になつくにつれ、成績も上がり、ついには算数で5をもらった。

 “子ども食堂”と聞くと、子どもころのこうしたシーンを思い出す。スーパーに行くと、どこも惣菜コーナーが充実しており、それを利用する客も多い。仕事が遅く、帰ってから夕食を準備する時間がないため、惣菜を利用する割合が増えているのだろう。家族の帰宅時間が違うため、日曜日以外はなかなか家族が揃って食事できない家庭も多く、これが母子家庭になると、子どもが惣菜をひとりで食べる“孤食”となる。

 どんなごちそうでも一人で食べるよりは、みんなで食べる方が楽しい。“子ども食堂”ではボランティアの人たちと一緒に食べる。こうした縁もゆかりもない大人と食事することは貴重な経験にもなるし、学校や家での不満をしゃべるのもいいだろう。何よりも、店で売っている惣菜よりは、家庭料理には、どこか精神的にくつろげる。デンマーク映画“バベットの晩餐会”は、料理の持つ意味を描いた傑作だが、ここでは会話もない無表情な老人達が、バベットの料理を食べるうちに次第に頬がゆるんでいく。料理は人を幸せにする。この過程がすばらしい。“子ども食堂”では、こうした小さなバベットの晩餐会が毎回、開催されているのだろう。おいしい食事をみんなで楽しく食べる。これこそが子どもの教育の原点かもしれない。

この試みの利点は、単に貧困世帯の子ども達を助けるだけでなく、それを手伝うボランティアの人たちに生き甲斐を生む効果も考えられる。子育てが終了して、今は一人でさびしく料理している老婦人も多い。料理は一人だと簡単なものですましてしまうが、これが誰かのために作るとなるとがんばる。うちの母親もそうだが、一人暮らしの老婦人の問題は、誰も話す相手がいないことからくる”さびしさ”と、栄養不良であろう。子ども食堂にこうした一人暮らしの老婦人がボランティアで働くことにより、子どもだけでなく、老婦人にも大きな意味があるかもしれない。


 弘前の子ども食堂は、弘前市豊原の福祉法人、愛成園で行われ、近所の子ども達を対象にしており、この区域以外からの利用は難しい。これをモデルケースとして、他の地区にも広がっていくのを期待している。また運営には、人的ボランティ以外にも物資、資金の寄付を必要としており、今後とも市民の継続的な支援が必要であろう。

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